KORANIKATARU

子らに語る時々日記

我が家の攻守のスタイル2

4 うちは勉強で未来を開くしかなさそうだ

そして、家内と話す。

誰も彼も勉強すればいいってものではないだろう。
そんなつまらないことに身を削る必要のない子達も多くいるはずである。

我が家の場合は仕方がない。
資産となるような不動産もなければ、後を託す事業もない。
勤め人稼業を果たせるDNAをも欠いている。
何か際立った天賦の才があるようにも見えない。
ほどほどなどではなく徹底的に頭鍛えるしか浮かぶ瀬はなさそうだ。

私たちが不在となるその先何十年にも渡ってまま幸福で内的な統制感持って生き延びて欲しいしまだ見ぬチビらを元気溌剌育ててもらいたい。

ならば我が身にお金をかけるのではなく、子らに勉強させるためにお金を使う、という結論になる。
捨て金になるかもしれないがお賽銭みたいなもの、果たして他にお金の使い道なんてあるだろうか。

しかし、そんな切実とは無縁な資産家もあれば事業家もいる。
才に恵まれた子であれば勉強を強制されることなど迷惑この上ないことだろう。
また、勉強が生理的に合わない子もいて、無理に押し付ければ弊害も生じかねない。

豊かな日本であり、人品優しい日本人である。
勉強せずとも何だって生業はあってそれでも十分やっていける。

ならば、塾にやって私学に行かせるなんて、お金が余っていてその程度の月謝でちょっといい気分になれるなら構わないというお金持ち以外にとっては、桁外れな浪費、時間とお金をドブに捨てるような暴挙となりかねない。

よほどの覚悟を決めた人でない限り、おすすめなどできる話ではない。
岡本君に対してならいい塾が近所にできたのでおすすめだよとは言えたとしても、誰彼構わずすすめることは不見識にもほどがあるということである。
第一、深い考えなしにそのような熾烈な競争に巻き込んでしまうなんて、当の子供が気の毒だ。

ぼちぼちやって、子も元気。
塾や私学に大金払うなら、家のローンなど借財を前倒しで精算して、生活を豊かにしたり、老後の蓄えにしたり、旅行など家族の福利厚生にお金を使った方が絶対に幸福だ、という場合の方が多いに違いないのである。

それでも爪に火をともすような気概で子に勉強させる親もいる。
その背中を見てしまえば、子は負けられない。
苦しいかもしれないが、強くなるしかないだろう。

5 ハードワーク・フットボール

長男の友人が家にやってきて遊びつつ、ぱっと空白の時間があるとテキストのページを繰る。
細切れ時間を鷲掴みにする握力は、職業人として是非とも身に付けたい素養の筆頭にあがる。

このような仲間らと切磋琢磨することでお互いを高め合う。
お侍さんの卵の修練のようなものだ。

優雅な立場ではない。
気を抜けないストレスフルな状態が常となる。

華麗なパスワークで鮮やか相手をだしぬくスペインサッカーではなく、走りに走るというハードワークで相手をしのぐドイツサッカーみたいな生き方を基本とすることになる。

学歴なんて今更ピント外れの話である。
どこの大学を出ようが、中身が伴っているのか、訓練を自らに課すことができるのか、アウトプットが出せるのか、それが問われる。

だから、内部進学で大学に進む方が外部から受験するより楽だから断然得だ、といったような考えは小さな世間では説得力を有しても実社会では何の意味もない。

前者ののびのびした環境で開花する才能もあるだろうし、後者の修羅場の道で開眼する能力もあるだろう。
要は能力があるのかないのかというだけのシンプルな話である。

我が家は、ドイツのサッカースタイルを選択する。
キラーパスは天与の才だが、走力は訓練の賜物だ。
さあ、走った、走った。