KORANIKATARU

子らに語る時々日記

凍土の地を常夏化する心がけ3

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寝る間際、ライフ・オブ・パイを観る。
トラと漂流するファンタジー映画であり、映像が美しく清涼で爽やかな映画だと思っていて、トラと漂流するなんてどこかの家庭の話みたいではないかと余裕で構えていたのだが、全く、全く違うテイストであった。

扱うテーマは根源的であり、限りなく深い。

映像美に感嘆し、最期にその意味を知る。
トラが誰であり、トラが何をしたのか。

もしこの内容を、韓国映画のリアリズムで描いたら、正視に堪えない、観ることが苦行であるような映像の連続となるに違いない。

しかしこの映画は、リアリズムのその上を行く。
様々な象徴的シーンが後になればなるほど美しく蘇り、しかし、その実相は決して美しいはずがなく、その差異が心に付着し離れない。

「人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だ」
中島敦山月記の一節を思い出し、我が身の中奥深くにいるのかもしれない猛獣のことを考える。

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地に昼と夜があり、夏と冬があるように、心においても、暗く寒々した気色の時もあれば、無敵の太陽に照らされ熱く晴れ渡る時もある。

例えば、来月の下宿代に事欠いたひもじく無力で先行き不透明な学生時代、進捗しない課題の報告を上司にせねばならない重苦しい月曜朝を過ごす勤め人時代など、忘れてしまったけれど、寒冷な心模様に覆われ出口も塞がれたような心境であったはずである。

そのように心に氷張るような凍土に身を置く時期もあったのだ。

最近、体力の衰えからか、気分が寒冷となるケースがたまにある。
なにしろ忙しい。
相変わらず勤勉に仕事しているつもりでも、量が増え体力が減退すれば、100%満足いく結果ばかりではなく、引っ掛かる箇所がいくつも生じてくる。
自分を責めるような感情が湧くと心が冷える。

不完全な仕事を改善すればその寒冷も癒えるのであり、それが直接的な解決策の筆頭であるが、しかし一歩間違えれば逆にますます自らを心理的に追い込んでいくという結果になる恐れがある。
そうなると悪循環だ。
見る見る心は凍土と化し、ますます前途は閉ざされる。

他者視線で自らを精神的な窮所に追いやることは、事態を更に悪化させ、選択肢を失わせ、改善する余力を奪い、自らを害するだけであると知らねばならない。

ここはひとつ多少は目をつむり、開き直り、肩の力を抜いて、まずは心を充溢させること。
バカじゃないかと思われるくらいの常夏気質、無敵の夏を現出させることが肝心要となるだろう。
暖まればカラダも動く。
それでノンシャランとすればいいのである。

自ら太陽を呼び起こし心を温暖に、更には常夏へとする心がけが必要であると知るだけでもずいぶんと違うだろう。
例えば、冒頭で話した電車で偉そうにするおっちゃんは、自ら鼓舞することを知っているに違いない。
鼓舞がやってくるのではなく、自ら呼び込む。

いつもいつも素の状態で最善でいられるわけではない。
日々カラダのコンデョションを整えるのと同じで、メンタルについてもコンデョショニングが不可欠なのだ。

そして、そのケアにおいて、お湯上がりに冷水あびれば保温効果が高いと言われるように、冷え冷え体験もストックとして必要であり、世が平和で周囲が平穏であればあるほど真相を忘れぬよう、正気に還れるよう映画を観るなど、広く社会に関心を持つなどして極北の寒さに接することも大事なのである。

精神的な作用によって、逆風に吹き晒される冷え冷えの中においてさえ熱を発する何かを見出し、熱を発する方法を会得しなければならない。