KORANIKATARU

子らに語る時々日記

晩年が迫るのも悪くない


帰宅すると長男がダイニングで数学の問題集に取り組んでいる。
隣に座り昨日観たライフオブパイの各シーンの隠喩について説明し、会話を試みるが彼の心はここにあらず、気のない相づちの真意を察し、すごすご退散する。
我が家の玉座に一人腰かけ飾られたラグビーや二科展などの表彰状を眺めつつ感慨に耽る。

いつか休みが取れれば子らを伴いバックパックでヨーロッパ辺りをうろつこう。
突如、そのようなイメージが降ってわく。
彼らが大学生になる頃合だろうか。
私は50代に差し掛かり、かつてならば人生50年、50年突破記念、その集大成とするのに持ってこいの企図のように思えてくる。
我が家の「お伊勢参り」はヨーロッパバックパックツアーで決まりだ。

その頃になれば日々積み重ねてきた成果が実を結び親方として別段仕事しようがしまいがどっちでもやっていけるような域には達していることだろう。
容易く1ヶ月くらいなら時間を調達できる。
それに学費の負担も一気に楽になっているだろうし、余生に備える準備も十分整っているはずである。

何もかも都合のいい未来が浮かびますますその気になってくる。

人生の秋口以降、後は遊ぶ分だけ仕事すればいい、そんな風になっているに違いない。
大学生となった子らと、はたまた家内とあちこち巡る。
玉座の表彰状を眺めしみじみするより遥かに深く込みあがる喜びを味わえる旅の連続となることだろう。

晩年にそれくらいのご褒美があっていい。
ご褒美分の資力を先に取り崩し老いさらばえたときにアップアップ過ごすしんどさを想像すれば、元気で丈夫なうちは仕事に精出し駆け登り、やがて訪れる下りの道中はのんびりゆっくり過ごそうと将来の見通し描く方が理に適っている。

尊敬する老資産家は、お付の旅行代理店の担当者に贅を尽した様々なプランを提案させて、奥さんと検討のうえ時間が許す限り旅に出る。
ホテル、乗り物、食事、ガイド、どれをとっても最上等が敷き詰まったような旅である。

マネする財力はないけれど、せめてその縮小版はなぞりたい。
子育て終われば稼いだ分だけ遠路往還する旅費につぎ込み日々わくわくうきうき過ごすのだ。


朝6時過ぎ、仕事の支度をしていると事務所のインタホーンがなる。
郵便配達にしては早過ぎる。
しかも二度ベルを鳴らす訳でもない。

モニターを見ると、二男であった。
事務所のロック解除の番号をド忘れしたという。
待ち人が来たような、何だか嬉しいような気分で解錠する。

勉強道具をどっさり持ってきて、塾がはじまる時間までこもって勉強する気構えのようだ。
あちこち付箋が貼られている。
数々の質問が待ちかまえていると分かる。

ラーメン博士と異名とる二男のお越しである。
昼は玉川の旭屋で決まりだろう。

このように他愛のないことを日記に記録していくと、一見無色に見える日々の流れのなかに、順繰りに役目を引継いでいく色濃い潮目の跡がくっきり浮かぶかのような気がするときがある。

私は晩年に向かい、私の父は最晩年を迎え、その一方で、子らが盛りの夏へとまっしぐら突き進む。
その連続感の感無量をいつか君たちも感じることだろう。
まずは明日、一週早い父の日を祝う。
君たちが元気旺盛底なしでご飯を食べる、今はただそれだけで十分だ。