KORANIKATARU

子らに語る時々日記

他者へのリスペクト1


菅内閣官房長官は、秋田から集団就職で上京し、段ボール工場で働きながら苦学の末に法政大学の夜間を卒業した。
長い長い下積みを経て政治家となり、第一次安倍政権誕生の立役者の一人となった。
しかし僅か一年で突如安倍首相は体調不良を理由に退陣を表明した。
あまりに不甲斐ないと失笑を買うだけでなく、安倍元首相は同志の信望を失い、長く非難の的となる立場に置かれることとなった。

そんな状況にあっても菅氏は当時の安倍氏を支え続け、いまや安倍首相の側近中の側近、政権の懐刀として大きな影響力を発揮している。

エピソードを知ると見方が変わる。
テレビや新聞ではそのような話を知ることはなかった。
ラジオで知った。


田中内科クリニックでニンニク注射を受ける。

いつどんなときであれ、一貫して田中院長は人助けの人だ。
医師としてだけでなく、人柄のベースに人助けの精神が通底している。
数々のエピソードがそれを裏付け、田中院長を知る人であれば誰もがそうだそうだと頷く。

わしお耳鼻咽喉科の話になり、鷲尾院長は高潔の人物だという話しになり、それはそうだと頷き合った。
医師として地元に果たす貢献も大であるが、もし、政治家や企業家になったとしても目を見張るような有意な仕事を果たす人物だろう。

天六の福効医院が開業5年を数えそのお祝いが市大関係者らで行われる。
カネちゃんが本格的に加わり、福効医院の厚みが更に増している。

近日、一堂に会し、数々のエピソードにまた触れる機会を得られる。
人物が集まる、これは心躍ることである。


関与先の従業員のお子様が亡くなった。
会社対応に諸手続指示するが、子が亡くなるという話に胸締めつけられる。
耐え難い出来事であるはずだが、現実にこの世においてそのような不条理が繰り返し起こる。

私の場合なら、選択の問題ではなく、子ではなく私を殺せという話にしかならない。
大事な灯が消えた後、生き続けることはただただ苦しいことだろう。

その苦しみを思い、しかし何ひとつできることもなく、かける言葉も見つからない。
気の持ちようといったイージーな慰めなど何の意味も為さず、悲しみの重しがいつか少しでも軽くなることを静かにこらえて待つことができるだけであり、これはどのようであってもやはり苦しい。


新聞に、数年前に奥様を亡くされたという初老の男性の投書が掲載されていた。
男性は自ら洗濯物を干して初めて2階の物干台が高い、ということを知った。
妻はその不便さに不満をこぼすことなど一切なかった。
在りし日の妻を思い、涙が止まらない。

いつか永訣の日が訪れる。
先発隊として私が先に逝くべきだろう。
後に残されることは私にとって堪え難い。
好きなことして楽しく過ごし長生きしてもらわないと困る。


夏至が近づき日が長い。
空梅雨のおかげで新緑の季節を引き続き味わえる。
夕刻の風に緑やら潮の香が混ざって心地いい。

お地蔵さんに手を合わす中年男性を見かける。
通り過ぎつつ、厳粛な気持ちなる。

いろいろな想いを込め、人は手を合わせ沈思する。


駅に着き、電車から掃き出される勤め人の群衆のなか押し合いへし合いするみたいにして改札を抜ける。
ローターリーを徐行する改造車の窓が開き、ラリっているのだろうか、ヤンキー風の若者が大声で叫ぶ。

「お勤め、おっ疲れさんでーす」

そして嘲笑を乗せ走り去って行く。

浮きに浮いた、軽薄な物言いに不快感が募る。
真意は不明であるにしても、本当に労っている訳がない。

高みから人を見下す、卑劣な言葉遣いでしかない。

領主のバカ息子にからかわれる農奴のような気分とはこのようなものだろうか。

つづく