KORANIKATARU

子らに語る時々日記

慌ただしい一週間4

11
土曜日、夕刻前には仕事を切り上げ、家内の迎えのクルマに乗りプールへ向かう。
がんがんに泳ぎまくるつもりが、競技会のためスポーツの森は閉館であった。
やむなくみずきの湯に向かうが第一駐車場が満車。
芋洗い状態が目に浮かぶ。
やむなし。
家内と界隈ドライブしただけのようなものだ。
甲子園口の十一屋で赤ワインを買って帰宅する。

家内と話す。

母の系譜が子の精神性に与える影響は甚大なものなのではないだろうか。
父性は代替できるが母性については近似さえ難しい。

だからそれら母について子らに話すことは深い意味を持つ。
母の母のその先の母にとっても彼らは子であるのも同然のかけがえのない存在のはずで、もしまみえることがあれば彼らに対し最良のものをもたらしてくれることも間違いないことだろう。

そして、うちの子らにとっても、私たちがどうであるか以上に、その前はどうであったのか、どのような思いで母の母たちは生きていたのだろうか、君たちをみれば彼女達はどれだけ喜び何と声をかけるだろうか、そのように思いを馳せることは、彼らの思想の基盤となり得るくらいに重要な糧となる。

賢母と言えるママ友らと話すと必ずそのような賢母の母の母たちの系譜を垣間見ることができるはずだ。
中にはあのバブルの影響で金銭感覚や生活感について価値破壊ともいうべき致命傷負ったママもいるかもしれないが、周囲に賢母の系譜があれば、修復復元も時間の問題というほどその影響力は大きい。
もし周囲にそのような母グループがなければ価値の迷子となったまま、子々孫々途方に暮れるということもあるのかもしれない。
夫が軌道修正するのは不可能なことであり、母なるものにしか為し得ない。

だから子育てにおいては、地に足着いた強靭な母らの系譜が形成するグループに所属させることが大事なこととなる。

学校など、そのような系譜をつぐ者らのなかで過ごせば、「誰かが見ている」という巨大な絵巻物に取り巻かれるようなものであり、道踏み外すのは簡単なことではなく、いい意味での壮大な母なる呪いのなか、真面目な精神状態のもとお互い切磋するという前向きな流れに召し抱えられることになるだろう。
それはお金で買えるものではなく、いくら積んでも代替できない。

そして、伴侶も同様だ。

価値の壊れた、系譜のどこかで思想の破損した迷妄者とペアになれば、夫として手こずるだけでなく、子まで世間を舐めたようなバカになり、それだけでなく受け継ぐ思想という加護のない宙ぶらりんな不安定に晒され続けることになる。
これは避けたいことである。
ちょっとした眼力があれば見抜けるだろうし、ちょっとしっかりした女子友達の意見を聞けばすぐに白黒つくことだろう。

12
ある若者の葛藤を聞かされた。
線の細い真面目そうな青年だ。

営業担当だが、仕事が辛いという。

3台買ってくれるところをやっとの思いで見つけると、上司はそこに5台放り込め、という。
3台で十分なのにそれを言いくるめて5台売りつけることが、耐え難い。
そのような厚顔になれない。

1台でさえ売るのは簡単なことではない。
しかし1台では評価などされない。

3台買う客を見つけ、そこに5台売りつけてはじめてよくやった、となる。
そして、何の呵責もなく平気な顔でそれをこなす同僚がいる。
この世界で勝ち目はない。

1台でも売る力があれば、どうにでもなると思う。
そう伝えた。

評価されない職場は辞して、1台すら売ることのできないチームで率先して、1台ずつを積み重ねればいいではないか。
毎月数百万の給料貰うスター社員にコンプレックス抱いてこだわっても仕方ない。
雲の上の存在だ。

自分の世界で自分のスタイルで生きればいいのである。
食って行く力があるだけで十分ではないか。

我が身を振り返る。
私なら1台も売ることはできないだろう。

そもそも根っから商売人気質を持ち合わせていない。
率先して売って歩いて、お金もらうなんてできる芸当ではない。
まして、3台の注文に対し5台売るなんて想像もできない曲芸の世界だ。

たまに頼まれれば、では売ろうかなと思い立ち、気兼ねしながらお代を後で請求するという程度のチキンハートで生きている。

うちは商売人の系譜ではない。
需要に応え、お志としての対価を得る、そのような受け身のスタンスを貫いている。
相手に必要を訴え、それを相手の手に掴ませ、財布をこじ開けるというやり方についてDNAを欠いている。

需要に応えられるよう体力つけて学力つけて、相手が嫌な思いしないようナイスな笑顔で誠実に、それだけを生きるよすがとする家系である。

13
今年は家族揃う時間が合わず、一週前倒しで父の日のお祝いを済ませた。
先週の日曜の昼、事務所から天満の双龍居まで歩き義父を囲み、そこから家内と徒歩で一旦事務所に戻り、そして途中四天王寺のワッシーズでワインを赤白買って、実家まで歩きしゃぶしゃぶを食べた。

このところ、朝と昼は家内が作ったものしか口にしないように心がけているので少しベルトが緩み調子良かったが、やや調子が狂った。
食の煩悩は日没後のみ解き放ち夜行性へと導くはずが、日の高いうちから跋扈することが散見された。
折角檻に入れても例外一つで煩悩は外にはい出す。
また檻に入れるのに骨が折れる。

14
忙しさが増し続けている。
6月6日は大切な日であり、意識にいつもあったはずなのにすっかり忘れていた。
6月10日の時点で、6月6日はまだ先だという感覚であった。
日付の感覚が狂い、いつだってカレンダーの日付をみて月日の経過の早さに茫然とするのであるが、心に留めるべき日すら失念することはこれまでなかった。
小事雑事にまみれ、人の本道、大事から心が逸れる無為な暮らしに陥っているのかもしれない。
仕事の内容分量リズム、何もかも自分に合致し最適だと思っていたが、カレンダーだけ見て過ごす側にそろそろ移らないとならないようだ。