KORANIKATARU

子らに語る時々日記

コンビニでバイトするわたし

1
昨晩、寝ぼけ眼で、長男が心配そうに聞いてくる。
夢のなか、私がコンビニでアルバイトしていたという。

我が家の家計は大丈夫だろうか。
通学定期がもうすぐ切れるが、そのお金はあるのだろうか。

二男も起き出し、夢なんてアテにならない、正夢なんて滅多にないよと心配そうな長男を諭す。

私は黙ってそのやりとりを聞きながら、コンビニで仕事する光景を想像して見る。


運び込まれた商品を棚に並べながらも、レジに気を配りつつ、トイレの掃除をし、唐揚げをあげ、客にお箸はいるかと伺い、新聞と飲物を同じ袋に入れてもいいかお分けしましょうか尋ね、年齢確認のボタンを押してくれとお願いし、くじ引きの箱を差し出し、しかし下町ではその意味がじいさんには解らないので、とにかく1枚とってくれと説明し、現物ではなく応募券をじいさんが引き当てるのでその説明に骨を折り、何ということだろう、その時になってじいさんが関心を示しはじめてあれこれ質問してくるので、後ろの列が更につかえ、客の舌打ちが聞こえてくる。

私にはとてもこなせそうにない。
1時間も持たず根をあげてしまうだろう。

しかし生活がかかっている。
家族を思い踏ん張らねばならない。

1日8時間耐え通す。
時給800円で6,400円。
これで定期は買えるだろうか。


何とか仕事にも慣れてきた。
力の入れ加減、抜き加減も分かってきた。

客の苦情に無感覚になるコツもつかんだ。
一度友達が入ってきて、思わず名札を伏せ顔を隠した。
しかし彼は、空気も読まず惻隠の情も持ち合わせない奴だったので、おい、もしかしておまえなのか、と食い下がってきた。
何ですか意味がわかりませんと日本語に疎い振りをして、他人の空似で押し通した。


いまやリーダー格までのしあがり、時給も50円アップした。
たったの50円を侮るなかれ。

1年2,000時間働くとすれば、何と10万円も収入がアップするのだ。
年収160万円が170万円になる。
この調子で行けば60歳の頃には、年収330万円になる。

時給換算すれば、1,650円だ。
数々求人あれど、時給1,650円は相当に上等な部類に入るだろう。
いつかきっと。
サムデイ、夢の1,650円。


しかし、足元みつめれば心もとない。
年収170万円だと一人食べて終わりだ。
節約のため下町のおんぼろのアパートに住み風呂など勿体ないのでシンクでタオルぬらしてカラダを拭く。
飲屋に寄って一杯飲んで好き放題注文するなど夢のまた夢。

夢どころか希望もない。
学生が旅費稼ぐためにコンビニでバイトするのとは訳が違う。
主婦が小遣い稼ぐのとも違う。
足らず分を補うためでも、何かのつなぎとしての一時しのぎでも、身の振り方を考えるためのモラトリアムでもない。
最低限の生活の現状を維持するために、その仕事に時給で携わり肩がブッ壊れるまで全力投球しなければならないのだ。

体力は衰えてゆく。
テレビを見ても何を見ても面白くとも何ともない。
早く楽になりたい。


家族は助け合うべきだろう。
君たちも勉強などにうつつ抜かしている場合ではない。

三人寄れば時給三倍。

息続く限り、何とか持ち堪えるのだ。
いずれ優しい天使らがお迎えにやってくる。
きっと次の人生は素晴らしいはずだ。


大丈夫やんな?
長男が聞いてくる。

我に返る。

大丈夫だ、と答える。

何があろうと、時給もらうために求人に応募することなどあり得ない。
一時的な退避のためであっても、そんなことは絶対にしない。
一家の主として、時給800円か850円か、そのような閉じた選択肢の前に屈する訳にはいかない。


少しばかり金目になる知識があるし、経験がある。
それを活かす場所もある。
そこにたどり着く程度の面の皮と体力はある。

だから何とかなる。

こっちに来て手伝ってくれよと、必ず声をかけてくれる人がいる。
そして、その力になれる。
その訓練もこの身に課してきた。

しかもまだまだ楽しみ尽きない。
磨けば磨くほど、先々右肩上がり、いや非線形と言えるレベルで更に力は増強してゆく。
多分。

だから必ず何とかなる。


経済的にそのような極限の問題意識を持つことは重要なことだ。
遂には何が切り札になるのか、突き詰めて考えておくことである。

いつだって誰かが何とかしてくれると思ったら大間違いである。
そんな当り前に、不安も何もない太平楽気質だと気付くことができない。

チャラチャラと平和ボケした鳩ぽっぽな大人の理想論は話半分で聞き流すことである。
いざとなったとき、彼らが責任とって何とかしてくれるはずもない。

この国を覆おうとしている一億総貧困化の影を察知した君の無意識が、不安な夢を通じて、蜂起せよと君を促したのである。
取り組むべきは我が事だけではないだろう。
いよいよチンゲンサイではなくなり、たわわ生い茂る時期が迫ってきているのだ。