KORANIKATARU

子らに語る時々日記

夏休みの夢の浜辺


昨晩寝室で長男が聞いてきた。
明日父さんは何するん?

仕事やで、と答える。

かれこれ十年近く、土日も仕事またはその支度に充てている。
子らがごく小さい頃はドライブに出かけることもあったが仕事のリズムを優先せざるを得ず土日の行楽とは無縁の暮らしとなった。
子らがラグビーの県大会で勝ち進んだときは仕事放り出し応援に駆けつけたけれどそれ以外一緒に週末を過ごした記憶はない。

長男が言う。
おれは絶対、そんな仕事は嫌やな。


このところ、弁護士の収入が年々減少傾向であり職にすらありつけない若手が急増しているといった話をよく耳にする。

巷の書類屋稼業が食えないという話は定番であったけれどそこに弁護士まで加わったのかと一瞬背筋寒い思いをするが、よくよく考えれば背景のある情報形成なのだろう。

統計のとり方次第でどのような話でも作れるように思う。
パッとしない人はいつだってどこにだっているだろうからそこに焦点あてればいいだけのことである。
ごく普通に弁護士業務している先生らの収入が低い訳はなく、かといっておれはめっちゃくちゃ稼いでいるで、どや凄いやろとわざわざ情報提供するような品位欠く方は極めて僅少であろうから、ちっぽけなほどに質素なデータが集まるばかりとなる。

それら味気ない素材を思惑に添って編集しまとめると、これが弁護士の収入なのかという驚きの結果が得られることになる。
これを指して、たいへんなんだ、と同情してしまうと思う壷なのだろう。


一方、わたしが携わる書類屋稼業など正真正銘で食えない。

弁護士が野球の花形、マウンドで投げるピッチャーだとすれば、これら士業者はスタンドを走り回るビール売りみたいなものだろうか。
たまにファールが飛んでくればボールに触わることができる。

笑顔で走り回り声かけられれば駆けつけてこぼさないようビールを売って数百円の小銭を得る。

集客化しようとお店出したところで閑古鳥。
手伝いを雇っても結局は自分の稼ぎを分けるだけの不条理に頭を抱える。
結局は自ら駆け回る方が実入りよく最も合理的だと足もつれてまでもお客のもとまで這ってゆく。
元気なうちはこれはこれで気軽でなおかつ充実感もあって思いの外楽しい。
元気がなくなれば、、、それはもう路頭に迷いうなだれるようなものだろう。


そのような仕事であっても矜持はあって、売り子に徹しつつ、頭の中ではマウンドたくされる一人のエースとして自らを思い描く。

投手というのは数あるスポーツ選手のなか最強で最高の地位を占める。
野手や打者など、投手を際立たせるための添え物、バックコーラス、エキストラみたいなものである。

我々が仕事に対峙し、その状況を比喩的に捉える際、相撲やサッカーやバドミントンなどを想起することはない。
寡黙に投げ続ける投手の背中を思うことが圧倒的に多いだろう。

肉体的にも精神的にも、投手こそが我々のヒーロー、お手本となる。
働く父さんたちは、立ち上がりの不安に毎回戦慄きつつ、連日連投、それこそ一球入魂、地肩壊れるまで投げ続けるのである。

そして投げられなくなれば、お払い箱、露骨粗末に扱われ蔑まれる生ゴミもどきとなる運命なのだ。


家族一人一人の夢がかなうよう、関わった人たちに喜んでもらえるよう日夜連投する君たちの父は自分のことなど後回しにして頑張っている。
それが肝心なことだと思っているしそれで本望だ。
生かされている責任をいくらかは果たせているようにも思う。

どのみち、いつか世界旅行を何周もしたいという程度の夢しかない。
何周もしたいという漠然は、一周すらできなくてもどうってことないということの裏返しである。
実現して終わってしまうより、永遠に先延ばししている方が、夢は燦然と輝く。

劇場の長い列に並んでそして切符を買わない、何かの小説の一節にあった言葉を思い出す。


夕飯を食べつつザ・シネマで「カリートの道」を観る。

麻薬王との異名とったカリートは出所後、元恋人と再会し堅気へと戻ろうとする。
お金をためバハマで暮らすことを夢見る。
しかしかつてのヤクザ稼業のしがらみはあまりに強固でしつこく、仁義にからみとられ結局は巻き込まれてしまう。
バハマへ向かうためマイアミ行きの列車に乗り込もうとする寸前、彼は夢を断たれた。

絶命までのかすかな意識のなか、彼の目にバハマの幸福な浜辺が映る。
死にゆく彼とバハマの浜辺の対比に胸が詰まる。


何とか二泊三日でも夏休みをとって子らと遊ぼう、是非ともそうしなければならない。