KORANIKATARU

子らに語る時々日記

季節の変わり目に沁みる読書と音楽


先日の記録的大雨と共に冷気が訪れ翌朝には朝焼けで東の地平がオレンジに染まり今朝はいよいよ空一面うろこ雲に覆われた。
秋の気配がそこかしこ姿を現し始めている。

仕事して一休で温泉に入り塾を終えた二男をピックアップして家に帰る。
そのようにだけ過ごす夏の終盤である。

昨晩はFMでHard To Say I'm Sorryが流れたので、クルマの窓を開け冷気を帯びた空気を肌と耳で味わった。

駆け出しの小僧なら頭抱え悲嘆に暮れる業務量であろうが、今やベテランの域に達した私である、半べそ程度でやり過ごせる。
半べそ基調で流れる時間の小窓がふと開き、屹立した瞬間の到来に心癒される。

そのような瞬間と出合うためにこそ日常の集積があるのであろう。


足摺岬の風景の余韻に浸りつつ、ジョン万次郎について読む。

「ジョン万次郎漂流記」で井伏鱒二の自在かつ流麗な日本語のリズムを堪能する。
日本語というのは何て美しく力強い言葉なのだろう。

ジョン万次郎自身の心情に深く分け入り様々感じるとなれば、マギープロイス著の「ジョン万次郎 海を渡ったサムライ魂」が秀抜だ。
名シーンを数え上げれば切りがない。
どこもかしこも素晴らしい。

万次郎が馬に乗り疾走するシーンがある。
徐々に馬が加速する。
その疾走のなか、万次郎は自らの前に大きく広がる前途と、急速に発展を遂げていくアメリカの息吹を体感する。
あれこれとそのものを直に説明するのではなく、馬に乗って走る描写によって、爽快感とともに、その空気の臨場が伝わり状況の理解が促される。

言葉で表現することの凄みと可能性を再認識させる叙述に富み、この著作が本国アメリカで賞を受けたのも、この著作によって万次郎への関心がアメリカで高まるのも頷ける。


様々な差別を乗り越えアメリカでの生活に順応してゆく万次郎であったが郷愁は抑え切れず、母や妹らの身が案じられ、帰国を決意する。

折しもアメリカ西部はゴールドラッシュに湧いている。
現地に赴き、大半が早々にあきらめゴールドを掴み損ねる中、捕鯨で培われ研ぎ澄まされた待ち続け持ち堪える精神の本領発揮し、遂には目的遂げ金を探り当てる。

日本にたどり着くも鎖国政策のもと、鹿児島や長崎で身柄を1年半も拘束されるが、やっとのこと解放され、生家への家路につく。

そして、私はこれこそが最大の感動だと思うのだけれど、万次郎は母とちゃんと再会を果たすのである。
修羅場潜り抜け生き抜き、一人前の立派な姿で還ってくる。
こんな男らしい奴はいない。

母は健在であったの一文で井伏は説明し、その凝縮度も捨てたものではないけれど、12年ぶり、死んだものと諦めていた息子が羽織袴で母を訪ねるシーンを描いた「ジョン万次郎 海を渡ったサムライ魂」の方が心に残る。


スティングのベストを聴きつつ、港区下町の路地を走る。
大阪の港区は東京の港区と名前は瓜二つだが、趣きを少し異にする。
適当な駐車場が見つけられず、通行禁止の商店街を横断したり、行き止まりでUターンしながら黙りこくった30分を過ごすが、スティングがその沈黙に染み入ってくる。

大学生の頃、猫も杓子も、死ぬほどもっさい野郎でもスティングのNothing Like the Sunを聴いていたとは思うけれど、これほどに渋い曲の一群であったとは中年になってはじめて思い知った。

A子ちゃんB子ちゃんそしてC子ちゃん、寝ても醒めてもそのようなザワザワ騒がしい意識レベルの小僧の時代を終え、それら曲調にしのぶ静かさと同程度のものが内面に満ちてはじめて浸透して来る。

子らにはまだピンと来ない音楽であろうが車内で密やか流し予習として聴かせておこう。
いつか大人になって聴いたときに、じーんと思い出すことだろう。