KORANIKATARU

子らに語る時々日記

父親の居場所2


金曜の午後、西宮北口から阪急電車に乗った。
三宮までは15分程度である。
大阪で生まれ育ったせいか神戸となれば遠く感じるのでたったの15分という近接具合を意外に思う。
15分と言えば、環状線で大阪から天王寺へ行くより近い。

前にお二人のご婦人が座った。
ともに50歳くらいに見える。
時間帯からして専業主婦であろう。
左側の奥様はとても自然に高級品を身に付けたハイソな雰囲気であり上品な言葉遣いで明るく快活に身振り手振り交え楽しくお喋りしている。
一方、聞く側にまわる右側の奥様は、髪はパサパサで干からび、化粧もなく素顔がそのまま放置され、野暮ったいほどに地味な身なりで、これはあんまりだ。
クララとハイジの境遇のまま歳取って再会した、といった例えが浮かぶが、ハイジは幸福になるはずなのでこれは違う。

かたやますます富み栄え、かたややつれ感のなすがままという取り合わせに、沈痛な思いとなる。
伴侶を選ぶ女性の「ジャンケンポン(くじ引き)」が、このように明瞭な結果に帰結するということなのだろうか。

男であれば、野暮ったく見える側が実ははるかに社会的に成功しているということはいくらでもある。
だから幸福度と身なりなどあまり相関はないだろう。
しかし、女性であれば、相応に着飾れないのはそれはもうやはり、何をどう取り繕おうと理屈構築しようと幸福なことではないのではないだろうか。

男としての責任のようなものをひしひしと感じる。


神戸からとって返し、久々兄貴分に京橋の呑み場に連れられる。
3月から約束していたので半年遅れでの実現だ。

これまたディープな立ち飲み屋であった。
足元はゴミだらけ。
絶対に女性など連れて行けない。

しかし見かけはそうであってもさすが大阪、刺身も肉も外れなく美味しいのであった。

片寄せ合ってひしめいて飲む。
方々から聞こえてくる男性陣の嘆き節に耳を傾ける。

つなぎの小銭仕事しかなく家では針のむしろ、これまでずいぶん頑張ってきたのに小言の餌食となってぶん殴ってやりたいと言う失業男性に、我らグループの師匠が回答してゆく。
「雉も鳴かずば撃たれまい」
これこそが奥義である。
ヒット&アウェイなど泥仕合になるだけ、一矢報いるなど考えず、アウェイに継ぐアウェイで、事態の悪化を防ぐことができるだけだ。
機関銃手は石つぶて一つでも投げ返されたら感情を増幅させて死んでも許さない。
弾の飛んでこない場所で死んだ雉のように黙ってやり過ごすことである。

11時から開店している立ち飲み屋は、行き暮れた大阪男子にとっての避難所としての機能を果たす。

これまでそのような店で飲んだことがなく、はしゃいでしまったのか、飲み過ぎた。
曽根崎通りを歩くシーンの断片が残るのみで、記憶がない。
気付けば事務所で横になっていて、時計は深夜1時を過ぎていた。
そのまま眠る。


いま日本で一番男前なのは楽天のマー君であろう。
優勝する場面をテレビで見たが、心技体すべてが最高レベルで充溢したようなあの顔はいくら何でも男前過ぎる。
あの気迫、眼光、面構え。

男の居場所、男子が属すべき次元をマー君がまざまざと思い知らせてくれる。


長男も二男も充実した日々を過ごしているようだ。

父である私は、もっと働くしかない、という結論に行き着くばかりの人生である。

牛馬が受け持ってきた労働の領野さえ人間がまかなうという江戸時代の勤勉革命さながら、もっともっとと自らをバージョンアップさせ続けなければならない。
家で見かけるおっさん風の姿からは想像もつかないことだろう。

いつか、どのようにしてこんなことが可能であったのかと考えたとき、私の背中が浮かんで君たちが何か感じてくれれば、それで何かを伝えたことになるのだろう。
そのとき晴れてお役ご免となる。