KORANIKATARU

子らに語る時々日記

二男の誕生日にタイム・オブ・ザ・ウルフの炎を想う


11年前の12月某日、今日と同じく澄み切るほどに晴れ渡った日曜朝、二男が生まれた。
明け方6時過ぎであった。
東の空が明度を増し光が募り始め、そして産声が響き渡った。

今朝は6時まで待って長男を起こし、事務所に向け東へクルマを走らせる。
昨晩遅くまで勉強したせいか爽快な寝起きとはいかないようだ。
助手席で目をこすりながらマイケルジャクソンの「This is it」を観つつしかし眠りに吸い込まれていく。

目に入る風景が暗から明へとみるみる様変わりし鮮やかさ増す朝のグラデーションのなか、二男誕生当時のことを思い出す。
誕生前夜の土曜日、家内とテレビで映画「GO」を観ていた。
話の佳境というところで急に家内が産気づいた。

大慌てクルマを走らせバルナバ病院へ向かった。
途中、谷町筋のコンビニで長丁場に備える為飲み物を買った記憶が鮮明に残っている。

長男のときと同様、徹夜となった。
そこらをぶらぶら当て所なく歩いて過ごした長男のときと異なり、病院待ち合いのソファに腰掛けてテクニカルタームだらけの仕事本と格闘しつつその時を待った。
今でこそラクラクスイスイ読める内容も当時は駆け出し、相当に骨を折ったものであった。

無事誕生の知らせを身内に送り、そしてその後の記憶はない。
長男のときは水曜だったのでそのまま仕事に向かったが、二男のときは日曜日、帰宅し寝入ったのだろう。
二男はやはり優しい男だ。
生まれる曜日についても配慮が行き届いている。

映画「GO」を合図にそわそわ誕生の支度をはじめ、夜明けと時を同じくして勢い良く生まれた。
仏陀が菩提樹を背に悟りに達したのは奇しくも12月8日東の空が白み始めた時のことであったと言い伝えられている。
名の由来はこれで揃った。
後は字画を最良のものとするだけの話であった。


ミヒャエル・ハネケの「タイム・オブ・ザ・ウルフ」のラストシーン、静かに流れゆく緑豊かな樹林や草地の風景を目した後ではものの見え方が様変わりする。
物語を通じて最後に行き着くあの光景は、観る者の胸に良き記憶として末永く残るものとなっていく。
そして何度も反芻され、日常の光景のなか蘇ってしみじみとした感慨を沸き起こさせることになるのだ。

映画において、何が起ったのかは描かれない。
非常事態であるという状況だけが分かる。
水が汚染され、家畜が焼かれ、食料が枯渇し始める。
人々は避難を余儀なくされる。

映画の出だし、森の中を走るプジョーが現れる。
プジョーには4人家族が乗っている。
家族は退避のため別荘に向かっているのであった。

別荘には不法侵入した先客があった。
銃を構え威嚇してくる先客を落ち着かせ利害を調整しようと父は交渉を持ちかけるが、怯懦する先客はいきなり発砲してしまう。

父を奪われ、クルマも食料も失い、母アンヌ、娘エヴァ、幼い息子ベンの3人はサバイバルの渦中に投げ出されることとなった。
まさにタイム・オブ・ザ・ウルフである。
3人はサバイバルの象徴としての少年と出合い道中を共にする。

この状況下においては列車に乗ることだけが一縷の望みであると分かってくる。
人々は駅舎に集まって来る。
いつ来るとも知れない列車をそこで寝起きして待つ。
原始共同体さながら、危ういような緊張感でようやく秩序が保たれ、物々交換によって需給がやりくりされる。
極大の不安に覆われる状況であっても駅舎において日常性が生まれ、人々はそこでの暮らしに慣れて行くかのようだ。

施されたミルクを老人が老いた妻に飲ませてあげるシーンがある。
アンヌはそれを目にし涙が止まらなくなる。
夫がいれば、どれだけ頼りになったことだろう。
あるいは夫ならこの駅舎でもリーダーとして人々を統率したかもしれない。
そのような思いがよぎる。

小競り合いや諍いは止まないが、ぽつぽつと希望の話が語られ始める。
有史以来、世界には正義の団員が存在する。
彼らがいるので神が世界を守ってくれている。
その数は36人と決まっていて、独りでも欠けると世界は終わる。
リーダーのコスロフスキーは正義の団員に違いない。

与太話に明け暮れるカミソリ男が「火の兄弟」について話し始めた。
彼らは裸となって火に飛び込む。
火の兄弟によって燃え盛った炎が人々に癒しの心をもたらす。
すると世界が変わるのだ。
火の兄弟は1人ずつ減って行くので、正義の団員ではない。
世界を救うのは、火の兄弟だ。

父を失って以来押し黙り時折行方をくらませる少年ベンはそのような話をじっと聞いている。
ある夜、寝床を抜け出し、顔面を鼻血だらけにしたベンが一人焚き火の前に立つ。
枝木を火に焼べ、炎を爆ぜさせる。
そして服を脱ぎ始め裸となる。
鼻血は炎のように強烈なベンの意志の反映なのであろう。

このとき、見張りの男が今まさに火に飛び込もうとするベンに気付き走り寄る。
ベンを抱き寄せ、涙声になって語りかける。
「みんなを助けようと火に飛び込もうと考えただけで十分だ、おまえなら飛び込んでいた、でもそう思っただけで十分なんだ、全て解決する、明日になれば大きな車が肉や水を積んでやってくる、お前がそうやってみんなを助けようとしたことを、みんなに話す」
火を背景に少年ベンの犠牲の精神が男に伝わり、それが皆に火のように伝わっていくと予感させる象徴的なシーンである。

そしてラスト、車窓から見える風景が現れる。
規則正しく枕木を渡る列車の音が何とも穏やかに心地よく響く。
平穏な日常の恩恵にしみじみと感じ入るような心境となる。

ふと、冒頭のシーンが蘇る。
父が運転するプジョーから少年ベンが観た風景はどのようなものであったろうか。

クリスマスにはツリーのイルミネーション観るより「タイム・オブ・ザ・ウルフ」に描かれた炎を観ることをお勧めしておきたい。

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