KORANIKATARU

子らに語る時々日記

活況に湧く大阪


二男を塾で拾い帰途につく。
途中立ち寄る場所がありしばらく下道を通る。
かつて家族で夏の尾道を訪れた際にヘビロテした音楽を流す。
思い出は全部音楽に縫い込んである。
聴覚から夏の開放感を招き入れ父子ともども一日の凝りをほぐしていく。

途中、左手の路地から勢い良く飛び出し左折する自転車の一群に肝を冷やす。
前方を見ている様子がないので彼らが万一大きく膨らんでカーブすれば接触しかねない。
クラクションを鳴らす。

顔を見合わせ奇矯な仕草しておどける様子が伺える。
降りて横面でも、と思うがそのまま無視する。

大阪だと中学生相手でも油断ならない。


大阪に子を持つ母は言わねばならない。
土日のマクドに近づくな。
食品添加物が体にどうであるとかそういった話ではない。
地元のやんちゃな中学生がたむろしていて、のこのこ迷い込めば飛んで火にいる夏の虫、必ず餌食となる。
中学生においては中南米の貧困地区で振る舞うのと同様の注意深さが欠かせない。

この話を聞いたとき、いまだに大阪はそのようであるのかと、かつての自分、うら若き中学生であった頃の緊迫感を思い出す。
目が合えば誰かしら牙むいて突っかかってくる。
まるで猿の世界であった。

柄の悪さは貧困と密接に結びついている。
一体なぜ大阪は未来から見放されたようなまま、何十年も手付かず放置されているのだろう。

各種統計見れば日本を代表する大都市であったとは思えない程に大阪の貧困率は急上昇し高値安定、いまや全国屈指の貧困都市となっていることが一目瞭然だ。
大阪が牽引し関西近隣ともども悪化の一途を辿っている。

しかし関西ローカルテレビのほんわか感がそのような差し迫った危機的状況をすら、それもよろしいがな、と中和しこのままでもええやんかと皆で顔を見合わせベタなギャグにツッコミ入れて、笑ってたこ焼きふーふーするのが大阪の日常なのであった。


大阪都構想が実現したからといって深刻なほどに貧しい大阪の状況が改善するのかどうかは分からない。
しかしこのままであれば、無駄な支出を垂れ流しつつ没落し続ける大阪であることは確かなことであろう。

一筋縄で行くはずがない、やりたい放題の伏魔殿大阪に橋下徹が切り込んだ。
国政への寄り道があったり不適切と誹られる発言があったり紆余曲折し舌鋒鋭すぎてげんなりさせられる場面も相変わらずでありかつ大阪における今現在の成果も決して明瞭ではない。

しかし、大阪都構想という彼が唱える仮説以外に、大阪を浮上させていく端緒となる方策が他にあるのだろうか。

事は大事、大改革の話である。
ここで仕切り直し、表に出て民意を問おうと他勢力に持ちかける橋下徹の態度は終始一貫筋が通っている。
独断通せばどのみち独裁者だと誹られるだけであることも十分にわきまえてのことだろう。

それに対し、小声でボソボソ理屈言って冷笑する他勢力は大阪にとって一体何の役に立つというのだろう。
ここで仕切り直しするのは、中だるみ感漂う今、絶好の機会ではないか。
モゴモゴと議論を尽くすとの綺麗事で廃案狙いダラダラ膠着させる方が高くつく。
大阪の現状を見れば、改革着手は待ったなしの状況であるはずである。

設計図がどうのではなく、ずばり大阪都大阪市議にとってではなく大阪市民にとってプラスなのかマイナスなのか、対立点をはっきりさせて、大阪の進路を明瞭にすべき時だろう。
対立するのであれば「大阪の意思形成」のため他勢力は候補者を擁立するのが当たり前の話ではないか。

明日の大阪のため、と考えたとき冷笑されるべきは、どちらの方か明らかだろう。