KORANIKATARU

子らに語る時々日記

我が家の国立競技場


建国記念の祝日、二男に続き長男が事務所に現れた。
事務所内、別々のエリアに陣取って各自勉強に着手し、私は軽めの整理作業に勤しむ。
我が家の男手が結集である。
それぞれの課題に取り組みつつ寡黙な時間を共有する。

時折、二男が算数の課題を持って来る。
一筋縄では解けないがすごすご引き下がる訳にもいかない。
父の意地の見せどころとなる。
そして、長男は意地でも父に数学を質問してこない。
音を上げるときを待つ。

夕刻には切り上げ、さて今夜は家族で何を食べることになるのか。
後ほど合流する家内の意見に従うことになる。

今夜は福島のオイルを予約した、ということだ。


中学に入って野球部に属し、たまの休日には釣りに執心するという滑り出しの長男であったが、河川敷で行われているラグビーの練習がたまたま目に入り次第にいてもたってもいられなくなりその場で練習参加を申し出た。
その瞬間、魚への興味は消え去ったようだ。
魚の立場など知ったことではない。
男とはかくも身勝手なものなのだ。

スパイクとヘッドキャップを取りに戻っていきなり試合形式の練習に合流することとなった。
張り切りすぎて指の腱を断裂する。
せいぜい読書くらいしかすることのない文化的に過ごすひと夏を運命づけられた瞬間であった。

指が完治した途端、待ちかねたように彼は日曜の練習に出かけることになった。


学校生活もハードなはずなので、めっけもののような休日にラグビーするなど続くはずがないと父は見ていた。
しかし引退したボクサーの闘志に再び火が灯ったかのような入れ込みようであった。
遠方での練習や試合などにも欠かさず参加し、そのためには勉強の課題を前倒しでこなすことも厭わない。

新人戦の大会が行われる試合会場で、かつての仲間とも再会を果たす。
彼らが更に強くなった姿を目の当たりにし、引退したボクサーの闘志は更に掻き立てられたのであった。


中学受験に際し、6年生を前にラグビーを辞めさせた。
勉強するよりラグビーを続けさせた方がいい、ラグビーの強い学校に入れてあげた方が楽しみですよと心から信頼する恩師にそう忠言されたが、なんちゃってで始めたラグビーである、あまり調子に乗ってはいけないと父は考えた。

そもそも当初は、泣いて嫌がるのを引きずり出して練習に連れ出すような有り様であった。
日曜の朝、兄弟揃って息を潜め押入れに隠れていた姿が懐かしい。
それを抱きかかえクルマに押し込む。
泣き叫ぶ声は近所中に響き渡っていた。

長男は4年生、二男は2年生から、のどか過ごせる日曜と訣別することになったのであった。


ブランクがあったにも関わらず、新人戦を通じての熱意が伝わったのだろう、兵庫県選抜チームセレクションのための練習に参加できることとなった。
日程的には無理がある。
学校の期末試験とも重なる。
それでも、絶対にやると言う。

ダメだ、勉強が絶対に優先だ、と父は言う。
もちろん、父として言ってるのであって本心ではない。
しばらくはラグビーに専念して勉強はまあそこそこやっときや、父がこう言ってしまえば終わりである。

気は進まないけれど、最強の抵抗勢力として振る舞わなければならないのだ。

練習に出るなら試験勉強を済ませてからだと威圧しつつも、長男がかつてともに戦った仲間やライバルらと再び顔を合わせ、できれば仲良く、そうならず引退者として最初は蚊帳の外に置かれることがあっても彼らの手伝いが少しでも果たせ何とか認められ、結果、男子の交流が再興するような雰囲気となるのであれば何と素晴らしいことだとにやにや想像し喜んでいるのである。


かつて私がアホな大学生であった大昔、国立競技場で行われる早明戦は感動感涙ものだった。
試合開始前、エンジのジャージの選手達が列となり飛び出しグランドに散っていく。
この瞬間は、感涙必至の最高潮の場面であった。

当時、横に座る同席者に話したものである。
もし我が子が、このような晴れ舞台に飛び出してくれば、感動で嗚咽止まらないであろうと。

実際に子を持ち、何もそこまで究極の場面でなくても泣けると知った。
現在進行で我が家「国立競技場」の出し物は折々変化していくけれど、これはもう、感涙必至の日々なのであった。

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