1
長男が入るなりお風呂場は彼一人のカラオケボックスと化した。
浴室から聞こえるOne Directionの “Live While We’re Young” を聴きつつ、体重計に乗る。
公園の緑の香が窓から流れ込んでくる。
長々降り続いた雨はいつの間にやら上がったようだ。
糖質制限ダイエットを開始し僅か3週間。
すでに体重が4kg強も減った。
食欲のまましっかりと食べているし、飲み会にも参加している。
単にでんぷん類や甘味類といった糖質を食事から取り除いているだけである。
それでも体重が減る。
少し食べ過ぎたかもしれない、そのような夜があっても体重は着実に右肩下がり単調減少の下降線を描いている。
結婚し太り始めて幾年月、体重減少を目指したどのような企図も功を奏すことがなかった。
じわじわと体重は増え続け、寄る年波なのだろうか、増加の度合いも増すばかりであった。
それが、ただ糖質を回避する、というたったそれだけのことで体重が減少し始めたのである。
食べ過ぎたという疚しいような自覚症状があってさえ体重は減り、体重計に乗る度、脳裏では「減少!」の文字がド派手なネオンのように景気良く明滅するのだ。
「肥満」と記された獣の刻印を後ろ指さされる日々。
だらしない与太者、無能でヘタレで醜悪な劣等者、そのようにラベル付けされ、一人暗がりで自らを恥じねばならない日常。
体躯は膨らむのに心は縮こまる。
極北の暗黒水域を漂流し続けた大食漢の船首が、糖質制限によって光募って眩いばかりの南の地へと進路を変えた。
2
これはいいと数年前に試みた「ちょっとだけ残すダイエット」は具体的に実行するには相当の覚悟が必要であった。
供されるどの皿についてもいくらかを必ず残す。
そのように心がければ食べ過ぎるということなどあり得ない。
簡単なことであるはずだった。
ところが、場面場面、困難に行き当たる。
貧困の家系の系譜ひく私のようなものには、遺伝子レベルでの呪縛がある。
食べ物を残すとなれば、咎を感じざるをないのであった。
罰当たりにも程がある。
神をも冒涜する暴挙だ、いっそ飢えて死ね、と耳の側で誰かが囁き続け、呵責に苛まれる。
それに、好ましい人間関係、穏やかな人間関係に身をおくことを最良と考える牧歌的性格者にとって、出されたものを残すなど無作法にも程がある。
せっかく作ってくれた善意を踏みにじることはできない。
お百姓さんにも顔向けできない。
こんなことすれば巡り巡って、私自身が粗末に扱われることになる、と深層意識が警告を鳴らす。
「ちょっとだけ残すダイエット」を勧めてくれた方は、代々伝わるお金持ちの御曹司であった。
食べ物残すことなど屁でもない、といったある種の酷薄を備えてない限り、このダイエット方法は無理なのであった。
3
「アップロード・ダイエット」も頓挫した。
食べるものを必ず写真に撮りSNSでアップする。
口にするものを可視化し衆人環視に晒すことで、自尊心が起動する。
浅ましいまでの食の煩悩はこれで制御できる。
しかし、これも継続は生易しいものではなかった。
例えば、会食となれば真剣な顔合わせの場合がある。
そのような場で、のべつまくなし出される皿を撮影するなど、首からカメラぶら下げ観光地ではしゃぐジャップの一員みたいである。
自らそのような戯画をなぞるほどには無頓着になり切れない。
また、公衆の面前であっても家庭においても、食べ物全部撮影するなど、自己を客観視すれば、偏執的に過ぎそれこそ気色が悪くなってくる。
私はそのような奇橋な人間にはなり切れなかった。
デブである方がましであった。
つづく