1
毎度のことながら惰眠むさぼる光景とは無縁の我が家の面々である。
今日、春分の日、三連休の初日から皆が皆早起きして一日の支度を始める。
長男は二つのグランドを渡り歩き朝から夕までラグビー。
二男は西宮北口で模擬試験。
家内は給仕兼運転手、二男を送り長男に付き添う。
2
今年から西宮北口に能開センターの教室ができた。
そのおかげでα模試は地元で受験できる。
数年前、塾事情には疎く、地元の塾のラインアップを軽くなぞった結果、大勢に従い大手に放り込んだ。
そこの実績から、つまり実績だけから判断して、最もリスクのない保守的賢明な選択であるはずだった。
我が家の子宝二人をそこに預け、後はお任せだと安心していた。
しかし、私も星のしるべの一員。
友人の子供たちも似たり寄ったりな年格好なので塾情報などが後から後から聞こえくてる。
カネちゃんの機動力が最も大きかった。
いろいろな塾があるが、シビアな見識眼で照らして評価の筆頭に挙がるのは能開センターである。
彼が方方回って到達した結論であった。
それを裏打ちする情報も交友関係から多々得られる。
しかし当時、西宮界隈に能開センターは存在しなかった。
気にはしつつも、腰を上げるまでにはいかなかった。
3
同時並行し、どうやらかなり確信犯的に出鱈目だ、と子を通わせる塾の粗が見え始めて来る。
こんな古色蒼然としたままのテキストで大丈夫なのか、志望校対策としてどこに優位性があるのか、日常の課題の難度設定はどのような見解に基づくのか。
どの先生がうちの子の責任者なのか。
そのような基本中の基本の親の問いにすら、たらいまわしにされた挙句「大は小を兼ねる」といった、こちらを舐めきったかのような答えが返ってくるだけであった。
私は、アホか?
生徒はいくらでもいる、ご不満なら仕方ないですね、といった不遜さも垣間見えた。
親子共々すでに相当に優秀であるというアドバンテージがない限り、裏目に出る確率の方が高いと判断せざるを得なかった。
ついには志望校についてこっちの顔も知らない先生に鼻で笑われた、と子から聞いて転塾やむなしと方針を大きく転換することになった。
4
手始めに、カネちゃんに教えてもらった市内の教室で能開センターの公開テストを受けさせた。
結果が出るスピードにまず驚いた。
テスト結果の解析の緻密さにも唸らされた。
他塾の生徒であるにもかかわらず、今後の学習について、懇切丁寧な指針も与えてくれた。
しかし、既存生徒への注力を削ぐ訳にはいかないのでこの時期での中途入塾は受け入れられないと断られてしまった。
いままで一体、何をやってきたのだろう。
呆然とするほどの虚脱感を覚える。
時間と金をドブに捨ててきたようなものではないか。
塾、というカテゴリーが同じなだけで、つぶさ比べれば、全く別物、同じ値段でカップラーメンと八助の鍋焼きうどんしかもお代わり自由といったくらいに中身が異なる。
カップラーメンでも子は育つかもしれないが、どうせなら具材たっぷり出汁まで沁みる手作りの鍋焼きうどんの方をお腹いっぱい食べさせたい。
5
粘って交渉し、運良くそこからほど近い教室が受け入れてくれることになった。
あのとき、本当に入塾をあきらめないでよかった。
連日子は通い、能開の先生方は惜しみなくバックアップしてくれた。
そして我が家にとって最良の結果で幕を閉じることができた。
元の塾でライバルだった標準的な能力の仲間たちはことごとく不本意な結果に終わっていた。
ことごとく、である。
カネちゃんからの情報がなければ、安閑としたままうちだってそのようになっていたはずなのだ。
能開においては標準的な能力者でも合格という結果に与れるのであった。
数字から実質は何も見えてこない。
その数字のうち、非数字となった大多数の者達は勘定のうちに入っていないのである。
6
塾のメッカと言われる西宮北口に能開センターがなかったことは、画竜点睛を欠く事態が続いていたというようなものであろう。
うちみたいにわざわざ大阪まで通わせるのは並大抵の負担ではなく、阪神間の友人らに対しては勧めようもなかった。
やっとこれで、能開がいいよ、と現実的な話として俎上に上げられる。
しかし「見かけ文化」的な要素が根強い阪神間である。
中古のBMWが日本一売れる地域という話から土地柄が推し量れる。
節税対策にしては数が多すぎる。
そのような土地で根を張っていくには、合格人数といったハッキリ目に訴求する実績が必要となってくる。
精緻な情報分析に基づく合格までのアプローチの正確さ、アップデート欠かさないテキストと入試対策、生徒のことを我が事とするほどの責任感と献身性、傑出の度を増し続ける講師の技量と熱意、万一能開色とそぐわない不適格講師があった場合に代替策をスムーズに導入する柔軟性、そして、あらゆる場面でのスピード感、そこはかとなく漂うあたたかみ、、、長所挙げればキリがない。
そのような中身の良さこそが、能開センターの最大の魅力ではあっても、ことが内側の話であるだけにそう易易と広まっていくようなものではないだろう。
地域の例に倣い、まずは見かけ整え、耳目引くしかない。
そして近いうちその魅力で人を吸い寄せる流れができ、やがては周囲の塾にも好循環的な影響与えるモデル的な存在となっていくことであろう。
多くの子供たちが、能開センターの先生による親身な指導によって学びの啓発を受け各自なりの成長の契機を得る。
そこで真摯尽力してくれる先生の姿を目に焼き付けることも子らの糧となる。
このような子らへの作用は、疑いようもなく「善」である。
塾の先生が果たす役割はたいへんに大きい。
そして一歩敷衍して考えた時、塾の先生だけが子らに対してコミットするわけではないという当たり前のことに気付く。
子供たちという未来そのものに、大人はどのように接し、自らの役割を果たすのか。
大人としての責務について、能開の先生から学ぶような思いとなる。