1
階下、足音がする。
身構える。
続いて、咳払いが聞こえた。
親父だ。
安堵覚えつつ、はっと目が覚める。
夢であった。
こんな夜中、親父は大阪の家でぐっすり寝入っている。
うたた寝のなか、私の子供時分の記憶が再現されたのだろう。
子供だった頃、親父の帰りは遅かった。
咳払いが特徴的なので寝ぼけ眼でもその帰還を時折は察知することができた。
いまや私自身が所帯持ちとなった。
自分が「父」となり、自分の家で暮らしている。
一家の主は私である。
老いゆく親父の現役当時を懐かしみ安心感に浸っている場合ではい。
2
さっさと身支度整え、未明の時間、クルマで事務所に向かう。
親父のことを考える。
間違いなく尊敬する人物群の最上位層に位置する。
軽薄でチャラチャラ浮ついたコドモ大人の対極、これぞ大人という見本のようなものだ。
不言実行、地味地道に徹し何事であれ着実に積み重ねていく後姿はこの世で私が目にした中、最も強く頼もしいものであった。
凄みさえ漂う執念に人型の顔形が備わった、それが君たちのおじいちゃんである。
私もそれを見習いたい。
重心低くして一歩一歩着実に。
歳重ねるごとにその重要性を強く感じる。
3
朝6時にもなると辺りはすっかり明るくなる。
事務所南側の窓のブラインドを全開にする。
光が注ぎ込むに任せ、書類作業を続行する。
A4サイズのノートに記した課題を鉛筆でどんどん消していき、追加の課題を書き加えていく。
鉛筆を超える筆記用具はこの世に存在しない。
奔出する思考が現実世界に着地する接点として、最高の機能を発揮する。
どこまでも軽く柔らかく、紙というフィールドを縦横無尽に走破する名うてのドリブラーみたいなものだ。
早朝から3時間も取り組めば、一定の到達を見る。
これを私は「小さな勝利」と呼んでいる。
毎朝、目指すのは小さな勝利。
良き一日のスタートが安堵感と充実感をもたらす。
降り注ぐ朝の光が幸福感を更に募らせる。
4
大勝利を目指し大振りしても空回りするだけの器量しかないと知ってからは、「小さく振っていく」スタイルを貫く。
倦まず弛まず、地味で地道な毎日をただただ積み重ねる。
少しずつ少しずつ、自らの能力もマシなものになっているのではないだろうか。
それがまた嬉しい。
誰かに管理されることも、指図されることもない。
心頭滅却、何かに我が身捧げるような自己犠牲からもほど遠い。
自営業が自分自身のスタイルに合致している。
他の有り様に適応する自分など想像できない。
5
先日、帝塚山の名店あづまで飲み会があった。
近場に住む星のしるべ達が集まった。
現地に到着し、お金がないことに気付いた。
しかし慌てはしない。
星のしるべチームで飲むなら大船豪華客船に乗ったようなもの。
一人二人の財布が空であろうが、気を揉むことなど何一つない。
中身はぎっしり詰まっているが、傍から見れば至極地味質素な豪華客船である。
星のしるべ男子たちはヤンキーではないので、カバンや靴やベルトや服のワッペンなどに自己を声高代弁させる必要がない。
巷で重宝され信奉される見せびらかしの小道具など彼らにあっては無用の長物。
信頼を得て責任を負い、果たすべき役割がある。
それを遂行することで得られる静かな誇りがある。
だから身なりは至って寡黙、言葉も虚飾で塗りたくられることがない。
このような中身たわわな男子らが、生涯ずっと友達なのである。
こんな豊かなことはない。
6
昨夜、家内と話し込み、あんまりにも会話が楽しくそしてお互い気づいた。
興が乗れば、必ず子供たちの話に行き着く。
あんなことがあった、こんなことがあった。
子供たちの話は何度話しても聞いても飽き足らず、私たち夫婦はそのお話の熱烈な愛好者みたいなものである。
手に汗握り、腹を抱え、やれやれと安堵し、少し涙ぐむ。
子供たちの存在は、胸の真ん中を埋める熱い芯のようなものである。
なければ、もはやその空隙は埋めようがない。
7
セノーくんが私のTumblrを読んでいるという。
すっかり嬉しくなって、そして想像する。
子らが、いつかどこかでこの日記を読む。
そのとき私は、元気に走り回っているのか、日記の続きを書いているのか、もはやいなくなっているのか、定かではない。
しかし、いつでもこの日記で君たちを待っている。
自由に飛び回って人生謳歌する君たちが、ときおりは羽を休め、戻ってくる。
その姿をちらっと想像しつつ父は小さな勝利得る戦いに向かっていくのだ。