1
空一面薄い雲に覆われた花曇りの日曜日、昼前には何とか仕事を片付けた。
近くの阪急オアシスで赤ワインを2本調達し駅に向かった。
もちろん携えるそれらワインは普段私が飲むのより値の張るものである。
寒の戻りか冷たい風がホームを吹き渡る。
いまにも雨が降りそうだ。
途中、家内と合流し阪急電車に乗り換え大阪北部を目指す。
家内は家内でお祝いの小品を用意したようだ。
電車を降り改札を抜けると目の前にタコちゃんとカネちゃんが二人揃って立っていた。
来客者のための道案内をしているのだ。
手には幼子がしたようなバスの絵が掲げられている。
その姿を一目見れば日頃は威風堂々たる彼ら医師の真実の人物像が垣間見え、なんとも言えない愛着を感じてしまうことだろう。
駅前にはロケバスが用意されていた。
実際に女優やらが使う実物のロケバスである。
そのロケバス駆って来客者をピストン輸送にて送迎する段取りなのだ。
バスに乗ると鷲尾先生と松井先生が既にお出でであった。
2
見惚れるほどの豪邸立ち並ぶ一帯をバスは分け入り、やがて目的のお家に到着した。
クルマで5分、徒歩なら20分弱といったところだろうか。
お家の前で主催者夫妻が出迎えてくれる。
中に入ると、眼前に中庭がぱっと広がり、芝生のうえ佇む来客者のなか幾つも幾つも懐かしい顔が見える。
駆け寄って下さった宮田先生に挨拶し、ジャンさんを筆頭に、次々ご無沙汰ですと挨拶を交わす。
息子の憧れラガーマン小松先生に挨拶したところで、氏野先生が飲み物を勧めてくれる。
芝生の上置かれたゴムプールの中、各種飲み物が氷水に浸って所狭しと並べられている。
選り取りみどりのなか、まずはビールを選んで、早速飲みが始まった。
3
主催者夫妻の配慮行き届いた簡潔な挨拶の後、乾杯となり食事が振る舞われる。
鮨、焼肉、和食を給仕する特設コーナーが庭内に設けられ、思い思い好きなものを好きなだけ食べることができる。
イケメン内科医の森先生が言う。
「あの鮨は、西日本一、いや、日本一かもしれない、おすすめですよ」
聞けば、「さえ喜」だという。
ありきたりな付き合いで個人宅まで出向いてくれるはずのないとびきりの名店ではないか。
糖質制限ダイエット、という言葉が頭をかすめ、しかし、祝いの席にまでそんな野暮を持ち出すなど滑稽千万、私はこの日、ダイエットというこっすい考えを封印することとした。
鮨はどれもこれも果てしのない美味しさであり同行した家内も大喜びであった。
そして、鮨が目の前で握られるだけではなかった。
次から次へとあらゆる種類の肉が焼かれ、振る舞われていく。
堂島精肉店がここまで出向いて肉を焼いてくれているのだという。
やがて、蕎麦が各自に届けられる。
都島の有名料亭坂東の職人さんの手によるものだ。
その他出張給仕する中華の名店、善道の大皿などが続き、料理は途切れることがなかった。
中庭でカクテル作りに勤しんでいた美青年は北新地セルパンの店主だということであったし、オムレツ焼くおじさんは辻調理師学校のフランス料理の重鎮だ。
錚々たる顔ぶれがまるで工作員のように中庭に紛れ込み、超一流の腕を振るっていたのだった。
蕎麦が残り4つとなったとき、章夫と私が1つずつを受け取り、残り2つを待つ先客がいたはずであったが横から誰かが手を伸ばしその2つを掻っ攫っていった。
見れば私の家内であった。
掻っ攫われた2つの蕎麦は、家内の手によって鷲尾先生と氏野先生に届けられた。
4
誰かが主催者の事を、ギャツビーみたいだと言った。
来客者の挨拶にまわる「ギャツリー」の姿を目で追いながら、私は高級ワインを自らのグラスにジャブジャブと注ぎ飲み干し続けていた。
こんな素晴らしいホームパーティーはついぞ経験したことがない。
章夫や相良さんが現れる頃には、私はふらふら相当に酔いが回っていたのではないだろうか。
終盤になってギャツリーの横に座ってお祝いの言葉を伝えた。
振り返ると、大きな窓ガラスの向こう側、中庭を望むリビングにギャツリーのご両親がいらっしゃって、その笑顔が見えた。
何と親孝行な男なのだろう。
何とも誇らしいような、私まで幸福になるかのような気持ちのまま、章夫と家内と帰途についた。
雨など一滴も降ることがなかった。
家に帰って、そっくりそのまま子らに話す。
来年は君たちも出動だ。
ギャツリーに必ず出会っておかねばならない。
5
福効医院という名称はご両親のお名前に由来していると聞いたことがあった。
ご両親から一文字ずつ頂いたと確かホームページにも記載があったはずだ。
芝生が美しく若い樹木植えられた中庭は、子らの遊び場として、皆の交流の場として機能を果たし、そしてやがては更に親孝行な何かとしての役割を果たすことになるのだと、ふと気付いた。
先の先まで見越して考えるギャツリーの懐の大きさと思いやりの深さに、私は二度目の感動に浸るのであった。