KORANIKATARU

子らに語る時々日記

「人品」というのは気のせいではなく実在しているのだよ


朝、コンビニでコーヒーを買う。
近場にあれこれコンビニがあるけれど、大抵セブンイレブンに寄ることになる。
コーヒー以外の品揃えが充実している、そのような理由からではない。

立ち寄って気分がよくなる。
ここのセブンイレブンは、とてもよくしてくれる、そのようなコンビニなのである。

早朝であろうが深夜であろうが昼間だろうが、スタッフが元気で愛想がいい。
声掛けなど客をケアする精神がしっかり行き届いている。
レジ業務ひとつとっても細心の気配りもってする。

言語外で交わされるコミュニケーションの大切さ。
それを知る人らと接する心地よさを味わえば、無頓着極まる輩の店舗には寄り付く気も失せるというものだ。

そして、そのような「良さ」は勝手に自生してくるようなものではない。
「人に良くしよう」という意思、それができているかどうかフィードバックするチームとしての自省機能、そして、人に喜んでもらえてそれが嬉しいと思える感性が不可欠だ。


わしお耳鼻咽喉科も上記同様の「よくしてくれる」感に溢れている。

「あそこは本当によくしてくれるよ」とおすすめした誰も彼もが「ほんと、よかった」と感心して喜んでくれるので、こちらも嬉しい。
そこを紹介して、結果、そんなはずは、と言い訳したり、謝ることなどあり得ない。

ここを訪れる来院者は誰か既存の来院者の紹介かもしれない、そこまでの視座が院長はじめスタッフ皆に備わっている。
既存の来院者を大切にするのと同じで、新しく訪れた新顔も大切にしてもらえる。
相手によって応対の丁寧さがテンでバラバラ、お高く止まったような粗末極まる接遇とは遠く隔たっている。


わしお耳鼻咽喉科院長と同じ甲陽学院出身の今村岳司氏が西宮市長選に立候補した。

おっとり穏やかな西宮住民の人品にあぐらかき、市の行政は密室主義の勝手放題、既得権の寡占化は強固となるばかりで、未来志向が先細り、今が良ければ後は知らんと言うしかないほどの退廃に陥っているという。
そこに風穴開けるべく具体的な政策掲げ今村氏が威勢いい声を上げた。

明日は隣家に声かけ家内伴い今村氏に投票するつもりだ。


先日、鷲尾先生と西宮北口のラズッカディナポリで食事した。
仕事や家族の話となる。

鷲尾先生が家族について語るとき、また、仕事について語るとき、ひとつの写真が背景に浮かぶ。

大草原、四頭の馬が並び立つ。
馬に跨るのは鷲尾家の面々だ。

家族の一体感、その家族が立脚する強く頼もしいような価値観が、その一枚に凝縮されている。
家族率いて手綱握る姿から、家族への愛情、ひいては人を大切にするという強い信念のようなものが伝わってくる。

激務こなしつつ、さくらFM出演、神戸新聞への寄稿など地域医療への貢献も果たしつつ、しかしそれを声高にすることがない。
もはや西宮に欠かせない存在だ。


世には悲しい人がいて、身なりや収入や学歴や外見だけで、相手をショボイやらダサいやらと見下し、悦に入るという種族がある。
そのような種族は同類集まって、何だかよく分からないようなものを見せびらかしあって、嘘くさいオベンチャラでお互い褒め合い、そして輪の外にあるみすぼらしさを醒めた眼で蔑む。

君たちは何があろうとこのような空虚であさましい人間に堕してはならない。

幸い、私たちのまわりには素晴らしいお手本がひしめくように存在している。
星のしるべの仲間やそこからつながる人間関係に触れる度、感謝せずにおられないほど、「人品」に恵まれていると実感する。

ぐちゃぐちゃの乱戦に巻き込まれ、そこから見事一機生還してきた戦闘機のような人物たち、だからこそ、他者に共感できる心持った「人品」が備わるのである。
人的成熟のため、誰だってその人なりの乱戦を潜り抜けねばならない時期があるのだと知らねばならない。


放課後の特別講座が始まり、長男の忙しさが更に極まっていく。
学校、部活、ラグビー、加えて特別講座まで加わり、ぼんやり過ごせばすぐに時間が足りなくなっていく。
寸暇動員し、隙間時間を有効活用する技能に拍車かけるしかないだろう。

一方、二男は圧倒的なレベルの課題に揉まれ揉まれて持ちこたえている。
気を抜きぼんやりしてしまえば遠く流される。
しんどいだろうが、エンジョイしてしまうしかない。
力の増大は目を見張るほどだ。
算数などもはや私が手助けできる域ではない。
思考の過程について話し合い、その内側で大きく育った知性に私は白旗揚げざるをえない。

ふと気を許せば忍び寄る敗色の気配に慄き不安と対峙し、しかしそれがどうしたと撥ね退ける。
苦難や葛藤の数々をくぐり抜け、男子は新しい出合いに導かれていくのである。

困難については一家言ある、そのような免疫ついた「人品」らとの交流こそ面白い。
苦労する甲斐もあるというものだ。

君たちがこの日記を読むとき、今の事柄は全て懐かしいような何かに変わっていることだろう。