KORANIKATARU

子らに語る時々日記

ダダ漏れ垂れ流しの輩を横目に力蓄積する堅実女房


FMココロでマレーシア音楽を聴きながら事務所に向かう。
軽快な演歌風の曲調に楽しげな気分となってくる。
薄明の時間帯ではあるが空は透き通り、快晴の行楽日和となる素晴らしい週末を予感させる。

事務所に到着し、鉛筆走らせA4ノートに今日の課題を書き出す。
それら眺め、本日完遂させるものを赤で丸囲みする。
昼も過ぎればあらかた青で潰される。

ノートが青ければ青いほど、仕事が順調。
ペラペラめくれば青の鮮やかさで幸福感が喚起される。
この調子、この調子、である。

昨晩、家内とプールで泳ぎ疲労は抜けた。
みずきの湯でサウナにも入り炭酸泉にカラダをゆっくり横たえたものだから、今朝は全身蘇ったかのようなイキイキ感に満ちている。
仕事する集中力も倍加するだろう。


みずきの湯からの帰途、肉を焼きながら先日夫婦で招かれた夕食会の話となる。
ある事業者の方にてっちりをご馳走になった。
こちらが恐縮するほどのおもてなしを受けた。

食事も素晴らしかったが、伺った話の方が強くしみじみ残る。

社長は言った。
今では軌道に乗り楽ができるがここまでの道のりは決して順風満々と言えるものではなかった。

一度はまさに万事休す、資金繰りが完全に行き詰まった。
女房に窮状を打ち明けた。
どこか遠くへ逃げなければならない。

しかし女房殿はどこ吹く風、余裕で笑っている。
女房が預金通帳を差し出した。

窮地を脱し再出発するのにお釣りが残るくらいに十分な厚みの額であった。

一度死んだようなものである。
女房の力で再起できた。
飲めや歌えと散財する陰で、女房がヘソクリしていなかったら、今の自分はない。
方方に迷惑かけたまま、後味の悪い人生となったに違いない。


話を伺いつつ、相当にだらしのない夫婦の顔が浮かんで笑ってしまいそうになるがこらえる。

生まれ持っての贅沢病か、借金あるのに、子供もいるのに、華美軽薄がやめられない。
稼ぎは雀の涙で心もとなくお金も返せないのに外車に乗りフェラガモの靴を履き、無職の奥様はハリボテ丸出しながらお金持ち風情を改めることもなく、子らも含めてどういうわけかお金を使う。

周囲の仲間はいい面の皮だ。
返済が滞っていると詰め寄っても、いつか風向きが変わる、今度はうまくいくの一点張り。
世の中、返さないと開き直った者に勝るものはない。
泣く子と地頭には勝てないと言うが、更に手のつけようがない。
どう思われたっていい、そう腹を決めれば、返さない者勝ちの不条理がまかり通ることになる。

周囲の仲間は、育ちもよく品もいいので、なかば騙されたようなものなのに掴みかかったり罵声浴びせたりしない。
バカ夫婦めと苛立ちはするが、子らも関わっているのでコミュニティから締め出すまではしない。
誰かが言った。
アタマカラッポピッカピカ。
言い得て妙だが何を言おうが、お金は返ってこない。

おそらくは、その場しのぎの才覚を発揮し、あっちで工面こっちで工面し、糊口しのぎつつ金持ちっぽさを維持しているのだろう。
摩耗するような精神状態ではあるのだろうが、止まる訳にはいかない。
幸い、類は友を呼ぶ、胡散臭い商売のネタだけは尽きることがない。
それらをネタに資金繰りに奔走する。

どちらかがしっかりしていれば問題解決もあり得るのだろうが、夫婦揃ってそのようなものだから、手のうちようがない。

もちろん、そのような寄生的やりくりが続くはずはないだろう。
今度はうまくいく、と言うにせよ、根本的な堅実さが欠如しているのだから土台無理な話という他ない。

そんな奴おらんやろう、と思うなかれ。

新聞の三面記事から事件が絶えることはない。
大半は、痴情のもつれかかお金のもつれ。
トラブルメーカーに事欠くことない世なのである。


ヘソクリ続けて巨額貯蓄した社長の女房はいつもニコニコ平穏なお顔。
周囲を落ち着かせる雰囲気の方である。

でんと構えるような穏やかさは、秘めたる自信と知性のようなものに裏打ちされているのだろう。
何があっても大丈夫なように堅実に生きる、そのようなシンプルで確固とした在り方が身に備わって、それが表情に表れる。

妻娶るならとなった際、君たちも参考にした方がいい。
女房の良し悪しで男子生涯の成否が決すると言っても過言ではない。
パートナーが栓の緩んだ垂れ流しとあっては、苦戦必至。

悪妻は百年の不作、末代までたたることになる。


先日の朝日新聞論壇時評に目が留まった。

長引く不況の煽りを受け、いまでは学生であっても勉強はさておき何よりもまずは先立つものと労働を余儀なくされる情勢にあるという。

市場原理に絡み取られ、劣化した労働市場において、学生である段階から取替可能なコマとして、使い捨てされる便利なコマとして扱われ、それに学生が馴化していく。
学生なのにゼミやコンパやテストどころではない。
まずはバイト。
何より先に市場原理に隷従することを余儀なくされるのだ。

そのような境遇に置かれれば、自らの可能性と向かい合いそれをとことん追求する余力など奪われてしまうかもしれない。
経済的な事情によって将来が決定的に左右され、才あっても満開には届かず、六分咲きくらいの消化不良に悔しい思いする若者が今後どんどん増えていくのだろうか。

そのような「いつか」に備え、親としては夫婦二人の人並み分以外は、堅実に過ごすのが最良賢明な選択なのだろう。
いま手にする何がしかかが、いつか誰かの役に立つ、そう思って慎ましく過ごすこととしよう。


帰宅後、リーデルのグラスで赤ワインを飲む。
最初は半信半疑であったが、家内が言うとおり、確かに他のグラスで飲むのとお味が違う。
まろやか、甘みが増す。

そして、決まって最後は子らの話になる。
いつまでも終わらない、楽しい話だ。

子らがあって今の生活に芯が通る。
君たちが立派に巣立ち、この楽しい務めからお役御免となれば、他に楽しいことを夫婦で見つけることにしよう。