KORANIKATARU

子らに語る時々日記

人生折り返して後は凡事徹底


寝姿をひと目見ただけでは長男なのか二男なのかにわかには判別がつかない。
それほどに二人揃って、幹のしっかりした分厚いカラダになっている。

ケツは隆起するほどの肉厚で、足から腰にかけ、そして腰から背中へとどの部位の筋肉も惚れ惚れするほどに頑健だ。

毎週末にラグビーに明け暮れる長男のカラダが隆起するのは自然な現象だろうが塾で勉強に勤しむ二男については説明がつかない。
5年生までラグビーで鍛えた余勢がその後の成長に影響しているのだろうか。

もしくは、右腕を鍛えれば左腕も強くなるといった同期現象が兄と弟の間で生じているのかもしれない。

日々の過ごし方は全く異なるが、とにかく食う、これだけは二人に通じる絶対的な共通事項であり、家内はいつか誰かにバトンタッチするときまで、長きに亘り料理作る手を止めることはできないだろう。


学校から帰るとダラダラとテレビをみて、宿題もやらず、いつか本気だそうと思うだけで安心し、大人になるまで本気にお目見えしたことのない怠け者といえば私のことであるが、当時の私と比較すれば、長男、二男の日々の様子には感心するしかない。

電車が動き始める頃には支度して学校へ出かけ、連日遅くまで、木曜や金曜などは英数の特別講座まで受講し、週末になったからといって一息ついてだらけるのではなく激闘のラグビーに向かっていく。
そして、家に戻って寝入るのではなく夜まで勉強などしているものだから、何と頼もしいことだろう。

二男についても、大人でさえ半べそかきそうな程にハードでストレスフルな塾のクラスの重圧に気圧されながらもグッと寡黙に持ちこたえ、遠距離通って家まで走り、ケロリ何事もなかったみたいに嬉々勉強に取り組む。

家に帰れば酒ひっかけのびてだらけてくだまく父からすれば、君たちは賛嘆に値する。
パチパチパチ。
私の拍手は鳴り止まない。

気力体力はこのまま伸ばそう。
後は人間性をとことん磨くことだろう。


生活の糧を得るため、怠け者ではいられなくなって幾年月。
ずいぶんと精出し頑張って勤勉に徹してきたけれど、おあいにく様、勤勉に自分を律する馬力には限界があると知った。

24時間根詰めて真面目に邁進するという究極になど到達できるはずもなく、道半ばどころか、そのはるか以前で勤勉を追う道の傾斜は直角に近くなる。

つまり、もうその先へは進みようがない。

幾ばくかの余力のようなものは残しつつ、しかしもうどうあってもそれ以上は無理という行き止まりが存在している。

出力には限界があるのだった。
本気出せば自分はもっと凄いかもと中年になって以降思うことはない。
10代で身長の伸びが止まるみたいに、私自身の出力量のキャパは35歳くらいまでであらかた定まったように思える。

自分自身の過去の記録を見返すと、35歳に差し掛かる頃の活動量はこれは実に凄まじいものであった。
朝から晩まで毎日毎日仕事に明け暮れた。
仕事に没頭しなければならない時間の長さは今の比ではない。
勤勉に打ち込む以外に手立てがないなか、勤勉出力の筋力は鍛え上げられていった。

そしてそこがピークであった。
器の限界。
あれ以上の猪突猛進はもはやできないし、想像するだけで気が滅入る。

あの過程で確固と身についた習慣や仕事観、具体的な方法論が練磨され、いまでははるかに生産性が改善され、仕事が年々楽になっていくだけでなくそのバリエーションも多彩なものとなっていく。

自分がこなせる仕事量が把握でき、仕事のゴールがイメージでき、自分が今日何時間ベストを尽くせるかも大体見通せる。

自分の仕事の型、様式のようなものが定まって、それ以外の有り様は想像しがたいし、適応も難しいように思える。

つまり、あの当時の、常に力業を要するような、どこまでやればいいのか皆目見当さえつかないお先真っ暗な日常に戻って、仕事筋力さらに増強させるような気力や体力はもはやどこにも残っていない。

能力は減衰せずむしろあの土台を糧に日々質的には発展しつつあるので若いころ程度の仕事量は難なくこなせるのではあるが、暗中模索の悪戦苦闘と居心地悪さはもう十分お腹いっぱいというようなことである。


20代をもっと大真面目に過ごせば35歳でもっと高みに到達したのではと若かりし頃には思うこともあったけれど、何をどう思おうが私自身の過ぎた時間はもはやどうしようもない。

君たちにとってはこれから到来する時間として捉え直し、心してその時間と向かい合うよう示唆だけ残しバトンを託そう。

そして、君たち同様、私にもまだまだ時間は訪れる。
20代をもっとハードに過ごせば良かったと苦い思いが過るように、この先もぼんやり過ごせば、それはそれでまた嘆息と後悔の種が増えていくだけのことだろう。

生き終えた後、やれることはしっかりやってきたと思えれば、それで十分。

後はとにかく凡事徹底、ということであろう。
キャパを超えたことなどできやしない。
自らのキャパのまま、倦まず弛まずやっていく。

この歳になると気負っても続かないし、プラスαの力が出る訳でもない。
肩の力を抜いて、「せいぜいお気張りやす」といったやんわり程度で一日を終えていく。
その積み重ねこそがトータルでみて成果を最大化していく心がけなのではないだろうか。

自分が到達したこの等身大を愛で、その相応の力で恥じぬ程度に精進する。

評価を得られることもあるだろうし、能力不足を叱咤されることもあるだろう。

それら周囲の声を指針とはしつつも慌てず騒がず粛々と目の前の仕事をえっちらおっちら仕上げ続けるだけのことである。