KORANIKATARU

子らに語る時々日記

死に際しての備え2


先日、たいへんによく売れているのでアドラーの「嫌われる勇気」という本を買った。


その中に、科学の領域であるはずの心理学において「大きな共同体」という抽象概念を唱え、多くの人がアドラーから去っていったいうエピソードが紹介されていたが、何だか分からないものをとりあえず指し示す上で、分かったような物言いをしないという姿勢は、たいへんに謙虚で評価に値するのではないかと私は感じた。

はるか昔から連綿と続き、あらゆる地域や文化を包含する大きな大きな共同体というものがあって、それに対し個人が役目を担っているという話は、余計な理屈がない分だけすんなりと私には受け入れられるものであった。

そして、その大きな大きな共同体という概念は死を思うときにも有用に機能するように思えるのだ。

生きている間は大きな大きな共同体に資するよう生き、死ねば「私」という兜を脱いで大きな大きな共同体に還っていく。
そうイメージするのが最も心安らかに感じる。

私がいなくなっても、世界には無数の「私」が控え続けている。
その「私」たちに対して何らかの良き影響が残せるのであるとすれば、理屈ではなく、いい気分だ。
何か良きものが後に残るのであれば、日常的に生じるちょっと「いない」というお留守の状態と、世界のどこを探してももはや「いない」という絶対的不在との間に差はあまりないのではないだろうか。

生を終えつつある人からすれば、大きな大きな共同体など言い換えれば無そのものと言えるのかもしれないが、無であったとしても地上を照らす役割があるのであれば、ましな無となろうとするのが人情というものであろう。

不在ではない無、それこそ、死の超越、とも言えるべき境地かもしれない。


東京で一人暮らししていた当時、高名な弁護士先生のご自宅パーティーに招かれたことがあった。

カワイイ女子もたくさん参加とあって、若気の至りに手足生えたような当時の私はずいぶんと羽目を外してしまったようだ。
高価なワインを遠慮なしにたらふく飲み、大切に所蔵された皿を割り、奥様の料理にNGを出し、顰蹙買いすぎて最後にはホースで水をかけられたという。

しかしそれほどド派手に目立ったにもかかわらず、私にはその記憶が全く残っていなかった。
席に案内され、座ってピザを食べワインをゴクゴク飲み始めた。
それ以降のことは何も覚えていないのだ。

気付いたときには、独居のベッドで服のまま眠り、そう言えば確かに濡れていて、ポケットには290円の電車の切符が入っていた。

後から後から私自身の失態について証言が重ねられ、私の行動が復元されていく。
皿を割るシーン、奥様の料理を茶化すシーン、切符渡さず電車を乗り継ぐシーン。

それら想像によって復元された記憶は、あらゆることどもが忘却の彼方に消えていくなか、鮮明さを増して私の中に残り続けている。


臨死の風景として、喜びと感謝に彩られた一枚の静止画が最後に映写されるというイメージについて先ほど語った。

しかし、姜くんが今回体験したように、いきなりのカットアウトとなれば、余韻に浸る間もなくあっけなく終わってしまうことになる。

それは何とも寂しいことのように思える。
臨終の間際、集大成とも言うべきその一枚に相見えることができないのであれば無念ではないか。

ならば、そうなっても悔いがないよう、前もって、その一枚の静止画については思い描いているにこしたことはないのだろう。

ホースで水かけられた過去の記憶を無から復元したみたいに、未来の記憶を先取りしていく。
それはつまり理想を描くということであろう。
ありありとした理想の実像を胸にし、喜びと感謝とともに日々を過ごす。

そうであれば自ずと大きな共同体にも利となることであろうし、それ以上に欲張って望むことなど何もないように思える。

私たちは、最後のプロセスに「ゆっくりゆっくり」と近づきつつある。
縁あったもののやがては無に帰す者同士、残された日々がよりよいものとなるよう夏会にて密か互いの健闘を祈り合おう。