1
クーラーをつけっぱなしで寝てしまったためだろう。
風邪をひいてしまった。
喉が痛い。
それでも昨日の土曜同様明け方にロキソニンを服んでクルマで仕事場に向かう。
雨は降っておらず風も強くはない。
台風はもはや過ぎ去ったのだろうか。
稲川橋の交差点から向こう、二号線が通行止めとなっている。
台風11号の接近と満潮の時間が重なるためとの理由で淀川大橋が封鎖なのだと兵庫県警の警察官が説明してくれた。
鈍行台風、その名のとおり、じんわりじんわり近づきつつあるのだった。
迂回し43号線を通る。
2
仕事場に到着し、エアコンを入れコーヒーを淹れる。
新聞を広げめぼしい記事にあたっていく。
幸福な時間である。
土日であれ家にいても仕方がない。
私自身が腰落ち着けることのできる居場所は仕事場をおいて他にはなく、平日休日問わず事務所で過ごす以外の在り方は考えられない。
仕事熱心が嵩じてこうなったというよりは、そこでしか落ち着けないのでそうなったということであろう。
水が高いところから低いところへ流れるのと同じ、私は私にとって無理の少ない楽な在り方に自然たどり着いていく。
クルマで帰宅するときには起こり得ないが、電車で帰ったとき、二度ほど家の前を通り過ぎてしまったことがある。
考え事しているにしても、我が家を通り越すというのはよほどのことだ。
もちろん、事務所を通り過ごしたことはかつて一度もない。
私の波止場は事務所をおいて他にない。
3
お盆休み直前のくつろいだ雰囲気が世間に醸し出され始めた今週金曜日、河内長野を皮切りにして東大阪まで外環をたどりつつ終日お客さんまわりをした。
一日ハンドル握ると腰にくる。
夕刻、仕事終えつつ、一思案。
事務所近くの上方温泉一休に寄ろうか、湾岸線末広で降りて蓬川温泉みずきの湯で岩盤浴しようか、鳴尾浜で降りて熊野の郷にするか。
事務所と自宅を結ぶ動線に、充実の湯場が揃っている。
毎日、どこかへ寄って、疲労を抜いて一日を終える。
当たり前にそのようにしているが、考えればずいぶんと恵まれた暮らしだ。
以前のように半べそかくほど仕事するわけでもなく、自然と年齢に合った一日の過ごし方を見いだし無意識のうちオンオフをバランスよく組み合わせているのだろう。
湾岸線鳴尾浜で降り、この日は熊野の郷に向かった。
控えめな照明のなか、カラダを横たえゆっくり湯につかる。
湯の香りがいい。
心身癒される。
4
自宅に戻るが、長男はおらず二男もいない。
夏休みであっても揃って忙しい。
子の姿がない家というのは空っぽの抜け殻のようなものである。
子らは成長し、それはそれで喜ばしいことであるが、いつか巣立つ時がきて、家の伽藍堂加減は徐々に徐々に増して行く。
忍び寄る伽藍堂の落とす影は長く長く伸び、賑わい消えて静まり返って行く。
友人の例に倣い、犬でも飼えば変わるだろうかと想像してみる。
帰宅するとワンちゃんがお帰りとお帰りと駆け寄ってくる。
可愛いではないか。
何だか幸福感のようなものが込み上がる。
しかしすぐさま、それを打ち消すようなイメージが浮かんで幸福感が掻き消える。
普段家にいないのだから、ワンちゃんも素っ気ない。
悪くすれば、不審者だと吠えられかねない。
元はと言えば、酉年生まれの蟹座男子、潜在的な恐怖感があって犬は苦手だ。
吠えられれば、こんな悲しいことはない。
自分の家なのに、ますます立ち寄り難くなる。
そして、いつしか老い、介護が必要となって施設に入る。
家とは無縁となる。
思い出のなか、子らのさんざめきに耳を傾け、しかし、それもだんだん遠のいていく。
もはや、かすか響くBGMであったワンちゃんの咆哮すら聞こえない。
5
お盆休みに差し掛かり、お盆であっても仕事はするのだけれど、少しほぐれたような気持ちが心地いい。
休みの雰囲気を喜ぶなんてまだまだ不完全な人生だと思いつつ、一方で、オンとオフが等価に感じられる理想の境地などあり得ない絵空事だと実感する。
誰がどういおうが、オンは厳しく、オフは優しいものである。
オンもいいけれど、オフはもっといい。
いくら仕事好きでも、せいぜいそこまで。
等価になるわけがない。