KORANIKATARU

子らに語る時々日記

心の景色を保つ


地元甲子園口駅駐輪場の自転車の数がめっきり減り、オフィス街へ出ても人影はずいぶんとまばらになった。
一部例外があって、本町のすき家ではお昼の時間に勤め人の方々が列をなす光景が見られたが、そのようなド中心を除けば、そこかしこお盆ムードのゆったり感にやんわりと覆われ始めている。

このムードは悪くない。
背に負う荷が少し軽くなったみたいに感じられ気持ちが楽になる。

盆も正月も大好きだ。
もちろん、私は家族養うため来る日も来る日もいつだって仕事しているのだが、同じ仕事するにせよ、空気感はやわらかな方がいい。

ギスギス世知辛い世も満更ではないと思えてくる。


いま快調に仕事こなしているが、お盆シーズンの出だしで風邪をひき、扁桃腺腫れ咳止まない状態で窮地に陥った。

迷うことなく仕事場からクルマに乗って、一目散わしお耳鼻咽喉科に駆けつけた。
今年、わしお耳鼻咽喉科の夏季休業はお盆の時期と外れていて、どこもかしこも閉店ガラガラのなか行き先失った病者に救いの手を差し伸べてくれている。

すぐに院長が診察にあたってくれ、テキパキと症状見定め、薬を処方してくれた。

診察椅子に腰掛け傍らに無造作に置いたカバンがいつの間にやらちゃんとカゴに入れられてある。

スタッフはよく気が回るし、心配りやむことがない。
わしお耳鼻咽喉科は良き雰囲気が醸成され続けているから、いつだって居心地がいい。
そりゃ病院嫌いの子どもたちだってここであれば馴染むはずである。

人を遇することを広く接客と呼ぶとすれば、わしお耳鼻咽喉科の接客レベルは、他業界、もちろん接客が生命線のホテル業などを含めてさえ十分に張り合えるレベルにあると言えるだろう。

接客の専門家などを招聘して研修したとか何か特別なことをした訳ではないという。
それが身につき、そう振る舞える人たちがスタッフとして集まってきているのである。
ことさら意図せずとも、そもそもがみな高い意識レベルにあるので、それらが共鳴し、相乗効果でますます洗練されていく。

新たに加わっていくスタッフもまたそのレベルが当然となり板につき、れっきとした一員として並び立つことになる。
わしお耳鼻咽喉科は更により良き好循環の流れに入っていく。

どこで働いていましたか、と問われ、わしお耳鼻咽喉科、医療法人社団わしお耳鼻咽喉科です、と答えることがその人自身のクオリティ表示のような機能を果たす日も遠くないだろう。

そして、私は機嫌よくそこを辞し、安心を得て、処方されたとおりに薬服用して、復活するのであった。
感謝感謝である。


私自身はこの夏旅行に行けないので、その変わりにロードムービーを観た。
邦題が「さあ帰ろう、ペダルをこいで」。
ブルガリアの映画である。

事故に遭い記憶を失った青年が祖父だという人物に導かれ故郷の国を目指す。
ドイツからアルプスを越えイタリアに渡り、そしてアドリア海に沿ってブルガリアに還っていく。
その行程が、胸がキュンとなるほどに美しい。
旅の郷愁に陶然となること請け合いだ。

二人漕ぎの自転車で祖父が前に陣取る。
記憶を失った青年の道先案内人である立場を象徴している。

途中、イタリアの難民収容所跡地を訪れる。
そこで青年は、過酷な日々のなか幸福だった記憶の断片を取り戻し、そして、事故の場面含め全てを思い出す。

かつてブルガリアソ連の衛星国家であった。
青年の家族は祖国を捨てざるをえない窮地にあった。

青年が少年だった当時の様々な場面が、随所に織り込まれていく。
家族の団欒、亡命に至る経緯、イタリア難民収容所での暮らし。

美しい光景のなか遠い過去の場面が挿入され、人が生き経てくる道のりに対して心が引き締まるような思いがしてくる。
そしてじわじわと感動が迫ってくる。

祖父は青年に言った。
「人生はサイコロと同じ。どんな目がでるか、それは時の運と、自分の才覚次第だ」
祖父も父もそのように真正面から人生と対峙してきた。

人生に対し前向きに身を委ねようという勇気のようなものが湧いてくる。
ラストシーン、これはもう感動である。


このような美しい映画をたくさん見るべきだ。
それが君たちの心の景色を形作っていく。

息を呑むほどにキレイな情景、人物の心模様、目を背けたくなるような痛ましい場面、それらまるごと飲み込んで内側にアーカイブしておけばいつかきっと役に立つ。

大切なのは、自分自身固有の心の景色を作り出しその調和を保つこと。
いろいろと騒がしく目まぐるしい世の中である。
一緒になってかき回されて心揺さぶられていては烏合の衆どまりである。

相手の思うまま頭に血がのぼって視野狭窄に陥ったり、相手の景色に呑まれて前後不覚となってペース乱されたりということが絶えない不甲斐ない父は自省を込め、君たちには迫り来る悪天候や風雨など寄せ付けず自らの景色をいつでも自力で復元できる人物になってもらいたいと伝言しておくことにする。