ちょうど淀川大橋に差し掛かったときのことであった。
前方を行く軽自動車が蛇行し始めた。
居眠り運転なのだろうか、あるいは危険ドラッグによるものか。
わたしの前の前のクルマである。
巻き込まれる訳にはいかない。
速度を落とし適切な状況判断ができるよう意識を集中し身構えた。
やがてまもなく、軽自動車の蛇行が意図的なものであることが分かった。
軽は、わたしのすぐ前を走るワゴンの行く手を阻み、車体を近づけ威嚇しているのだった。
左車線に出ると見せかけすぐに右車線に戻る。
そのような動きを繰り返している。
後続のワゴンは前へと進めない。
軽のペースに翻弄されて速度を落とさざるをえない。
軽がワゴンの進路を塞ぎつつ時折はワゴンと横並びのような状態となる。
窓を開け、軽の若者が怒鳴り散らしている。
ワゴンのなかの様子は分からないが、恐怖に苛まれていることは間違いない。
何を怒っているのだろう。
後ろを走っていたのにわたしには全く見当がつかなかった。
車線変更する際に前後で呼吸が合わず、それを他意に解釈して軽の若者の感情に火がついた。
そういうことなのだろうか。
それでこんな剣幕になったのだとすれば、問題はワゴンではなく、軽のドライバーの人格の方にある。
いずれにせよ、おかげでわたしは道を塞がれたようなものであった。
朝の通勤時、先を急ぐがここでクラクションを鳴らす訳にはいかない。
クラクションで軽の若者が正気に返って本来のスムーズな流れが回復する。
そう見込むほどわたしもナイーブではない。
鳴らせば、ワゴンと一蓮托生。
同様の咆哮浴びせられるのは明らかなことだった。
と、雲間から陽が差すような瞬間が訪れた。
軽がワゴンに肉薄し左車線にスペースが生じたのだった。
まさに、待てば回路の日和あり、である。
好機逃すまじ。
わたしは一気に左にハンドルを切ってアクセルを踏み込んだ。
正しい判断だった。
邪悪な軽をあっさり抜き去り難を逃れることができた。
軽とワゴンのその後の物語に興味なくはなかったが、平日の朝、とてもではないがかかずりあっている暇はない。
感情を十分に排泄しきって軽の若者は気が済んで走り去ったのかもしれないし、あるいは舞台を移してどつき合いを繰り広げたのかもしれない。
はたまたもっといかつい奴が現れ割って入って騒ぎが大きくなったのかもしれない。
いろいろな想像が浮かぶが、実際どうなったのかその顛末を知る由もない。
ただただわたしは、そこに垣間見えた大阪風土の一断面に慄くばかりであった。
さすが大阪、たこ焼きの国。
ちょっとしたことで憤激する一触即発のゆでダコがそこらを回遊している国と言っても大げさではないかもしれない。
住み慣れた大阪ではあるが、油断は禁物。
電車のなかでも、足が当たった、肩が当たった、新聞が当たったといったことで小競り合いが絶えない。
いつどこで巻き込まれるか知れたものではなく用心に越したことはない。
この日、家内が京都を散策していた。
冷え込むほどに情緒あふれて、歩くだけでも楽しいとの情報が入ってくる。
送られてくる写真を見るだけでも心ほぐれる。
大阪にももっといい景色があればいいのに。
そう思えてくる。
いい景色に触れれば少しくらいは気ぜわしさも和らぐのはないだろうか。
The Silver Pavillion Kyoto, Japan, 1951 Werner Bischof
The Golden Pavillion Kyoto, Japan, 2017 My Wife