KORANIKATARU

子らに語る時々日記

金曜夜の正宗屋

さすがに人気店、金曜夜の正宗屋は混み合っていた。

相席となった。

 

まずは瓶ビールを頼んだ。

「4-1さん、瓶ビールね」と店員が言い、わたしは店内における自身の名を知った。

 

前に座るおじさんは落ち着きを失っているように見えた。

なんだかそわそわし、しきりにカウンター席に目をやっている。

空きが出るやいなや、4-2のおじさんは席を立ち、カウンター席に移動していった。

 

その間おじさんはわたしと一度も目を合わせることはなかった。

 

絶え間なく来店者があるので、わたしの前の席はすぐに埋まった。

が、後釜となった4-2も終始落ち着かない様子に見えた。

カウンターに空きが出たところで、先程のおじさん同様、わたしの前から立ち去った。

 

どうやらわたしは真向かいに座って飲むにふさわしい相手ではなかったようだ。

 

わたしの隣席では中年の男女が向かい合っている。

瓶ビール一本を分け合って飲み、テーブルにはほぼ食べつくされた野菜炒め一皿のみが置かれていた。

 

服装はややくたびれ、男女とも面やつれしているように見える。

どのような方々であるのか素性は全く読み取れない。

二人の間にほとんど会話がないので、もしかしたら夫婦なのかもしれなかった。

 

ビールが空き、男が店員に向かって「熱燗2本」と声をかけた。

その瞬間、コップに残ったビールをちびちびと飲んでいた女の方が言葉をかぶせた。

「熱燗は1本でええで」

その低く涸れた声は、ささくれた茶髪と同様、荒みを帯びていた。

 

そして前に座る男に言った。

1本でええやろ。

なんで2本も頼むねん。

 

男はもごもごと口ごもり、愚痴なのか苦情なのか文句なのか分からない女の低く干からびた舌鋒に晒され続けた。

 

なんてまずい酒なのだろう。

男はそう思っているに違いなくしかし口には出さない。

 

横で聞いていても不快感募るが、その状況から何かを汲み取ろうとわたしはそこに座り続けた。

 

文句の類を向けられると、なぜこうまで気分が損なわれるのだろう。

なぜ軽く聞き流せず、感情をそれによってかき乱されるような痛みを覚えるのか。

 

周囲の喧騒をよそに、わたしは一人沈思黙考する。

 

共同体のなか置かれて生きる人間にとって褒められることは、太古の昔から絶対的なことであっただろう。

褒められることが生き延びることと同義であり、だから褒められることは「快」としてわたしたちに刻まれた。

 

裏を返せば、苦情や文句は共同体からの拒絶、すなわち死を暗示した。

 

文句を言われると苦しい。

肉体的な損傷が直接生じる訳でもないのにこうまで心身が反応するのは、存在の否定、根源的にはそれが死を暗示するから、ということなのだろう。

 

わたしたちは日々、文句を言われぬよう朝布団を抜け出し額に汗し仕事に精出し、文句を言われぬよう歯を食いしばって日々のあれやこれやにじっと耐えている。

まるでナメクジが塩を恐れるみたいに、文句や苦情を回避しようと必死血眼になっているとも言える。

 

金曜夜の正宗屋には、男性の一人客が目立った。

ここでは誰からも文句をぶつけられることがなく、ささやか憩いの時間を得ることができる。

間近で文句を言われるくらいなら孤独の方がまし。

カウンター席に並ぶおじさんらの背中は、そういった情景として読み取れるのかもしれない。

 

結局、隣席の男女は、熱燗一本空けて席を立った。

交わされた会話は、熱燗の本数についてだけであった。

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Sunshine Milk Bar, London 1936