KORANIKATARU

子らに語る時々日記

仕事の根が自分に合っているかどうかが問題だ

しがない最底辺の自営業者なので土日もなければ祝日もなく毎日働く。
強制されているわけではなくこれが自分のリズムなので苦痛はない。
しかし、長い学校生活等で根付いた休日気分というものは何年経っても抜けることなく心中深くに残存している。

だから世間が3連休だと聞けば我が身は仕事でも神経のどこかがスキを見つけて一休みしようとするのが分かる。
こんな状態のときは下手すると生産性がガタ落ちとなりかねない。
日頃のぼちぼちペースを維持するためには、何よりもまず仕事の「導入」部分が決定的に重要となる。

ピアノ主体の音楽をかけるか、または任務遂行系の映画をDVDで流す。
デスクまわりをきれいにし、気に入った文具を手術道具のように事務スペースに並べていく。
そして、以前「仕事の神様」に書いた通り、A5の紙一枚にタスクと時間配分を綴ってゆく。
関連する資料を左右にどっかと積み上げる。

すぐには取りかからない。
というより、取りかかれない。
世間が休日だと、仕事に向かう切迫感が湧いてこない。
別に今日やらなくても、深刻な状況になるわけでもない。
明日やればいいじゃないか、と誰かがいたずらっぽく小突いてくる。

タスクメモの余白に今日は次のように書いた。
「やればルンルン心がはずむ、やらねばどん底死ぬ程ブルー」
混濁した内言語みたいで本人以外にとってはやや難解なテキストかもしれない。

関係のないことをしながら、徐々にイメージしてゆく。
最低7割方でも目鼻立てばとても爽快な気分になれる。
もし尻尾巻いて逃げれば、その際生じる自己嫌悪からは逃れようがない。
一日の終わりをため息だけで過ごすことになる。

そわそわしてくる。
どうしようもなくなる。
そして、フライング、決めた着手時間より早く手が出る。
走り出しさえすればあとはこっちのものである。

さて、今日書く話の肝はここにある。
仕事の動機について。
多種多様な人がいて、その数だけ仕事する動機も多岐にわたるのだろうが、私の場合は、終わった後の「ルンルン」気分、これこそが仕事する理由に他ならない。
43歳と3カ月になる2日前の今日、明確に気付いた。

気に入った装備引っさげ、書類の海へ潜り込む。
海底での暗く孤独な作業に勤しみ、今日はこれくらいでいいだろうと区切りついたところで浮上する。
海面に出たときの、あのキラキラと明るく光る空、海面を吹き渡る風の清々しさ。

君たちの父は孤独なダイバー、人知れず深海で奮闘する海の男なのだ。
そして、薄々気付いているだろうが、通常の人と比較してお金儲けや自己顕示のためにがつがつ仕事しようという意欲が孤独を友とするダイバーのお定まりとしてやや欠落している。
これまで全くと言っていいほど、お金が欲しくて目の色変えて仕事したということがないし、他人押しのけておれがおれがと額に青筋立て仕事に突進したこともない。
それでママには苦労かけている。
それでもなんとか暮らせているし、お金に貪欲にならずとも穏やか毎日仕事できる身を幸せだと思っている。
しかしまあ、ママにはストレスになってるかもしれないけどね。
お金持ちになろうと思わない男に当たったのが運の尽きと諦めてもらうしかない。

日夜努力欠かさない、可能性の塊である君たちは、どんな仕事だってうまくこなせるだろう。
しかし、心に留めておくように。
世にはいろんな仕事があり、それらはひとつひとつ全然違って見えるけれど、例えばダイバーといった隠喩で集約的に語ることができるように、共通の根というものがある。
仕事について、表面上の見かけだけでなく、必ず、その根の部分を想像してみた方がいい。
万一、その根が自分にそぐわなければ、自己嫌悪と疲労困憊に苛まれる虚無の人生となりかねない。
その根が自己イメージに合致していれば、意気ますます揚々、長く続けることができ成果も出せる幸福な仕事になること請け合いである。