KORANIKATARU

子らに語る時々日記

本当に気の毒で可哀想な奴なんだ

空調をオフにして窓を開ける。
それで十分気持ちよく過ごせる穏やかな季節となった。
10月に入って思った以上に忙しくなり、いつの間にか既に10日だが、今日はアポが突如キャンセルとなって、時間を持て余してしまった。

人間、突然ヒマになるとろくなことを考えない。
せっかく授かっためっけ物の時間なのに、大したことが浮かばない。
小人閑居して不善をなす、という意味がよく分かる。

まず頭をよぎったのが、買い物。
季節の変わり目、買い物にでも行ってこようか。

自分の心の動きを静かに見つめる。
いま差し迫って必要なものはない。
単に暇つぶしで買い物しようと思っているだけだ。

買い物すると、何か満足感のようなもの、買っただけなのに達成感のようなものを味わうことができる。
気分がスッキリする。
要は、それだけが目的なのである。
気持ちを切り替える。

モノは逃げない。
お金を置いておけば、いつでも買える。
慌てて我先にお金をモノに変えてしまうことはない。
気は紛れないけれど、それで気を晴らすことはない。

気晴らしは他にもある。
代替案は普段から考えておく方がいい。
さもないと最初に出た不正解に引きずられてしまう。
直感はたいてい正しいが、それは間髪入れず集中した状態であってこそで、何となく倦んで出てくる想念はクソみたいなものというのが揺るぎない相場である。

クソと言えば、君たちが苛立つ、例の「チクリ」君の話についても考えよう。
事件事故があって必要な通報や告発をするのとは違い、チクリというのは、卑小で醜悪、鬱屈した自意識が、単に相手を害し溜飲を下げるという目的で為される。
ゆえに、たいへんに軽蔑される行為であり、通常は育つ過程で、チクる人間にだけはなりたくない、との矜持が備わる。
なにしろ、ゴキブリ、ダニ、ドブネズミ、つまり蛇蝎忌み嫌うように、チクリを毛嫌いし反吐が出るよう我々のDNAに刻み込まれているのである。

潜在的な羨望なのか嫉妬心の現れか、自分の心のダークなねじれをほどくことができず、上位の力に尻尾振ってキャンキャン取り入り自らの手を汚さず、実はこれ以上に汚れることはないのだが、仲間であるべき者を罰してもらう。

男の風上にも置けない野郎だが、しかし、森羅万象、何があっても不思議はない。
致命的な外れクジだと知ってか知らずかチクリ君の役柄を引き当て染まってしまう哀れな輩が後を絶たない。
仲間の命運を左右できる力を手に入れた、そのような全能感は、一度覚えるとそれなしではいられず、苦労して仲間うちで信頼や承認を得るより手っ取り早い。

親なら悲しい。
我が子が人生というドラマにおいて、絶対に主役にはなれないクソミソに蔑まれるチクリ君としてデビューするのである。
お遊戯での馬車の役なら一回こっきりで終わるが、チクリ役は一度やるとその名が刻印され、未来永劫にわたり蔑視され続けることになる。

大人になって久しぶりに再会し、どんな仕事をしてようが彼の名は「チクリ」君であり、我々の記憶が続く限り伝承され不変不動なのである。
そして、我々が終生警戒するのは理に適った合理的判断であり、彼は相変わらずどこでだってチクリをし続けているに違いないのだ。

学校の先生について言えば、チクリ君に対しそんな恥ずべきことはやめな、おれは聞かなかったことにする、と言ってやるのが成熟した対応だと思うのだが、昨今の公立小学校の教師は世間知らずなだけでなく世事への思慮も浅く、おまけに、どこを切ってもチクリの血が流れているような人物が増えていると見えて、チクリ気質が奨励されたりもするようだ。
何とも罪深い事である。
学校には関わるな、と心ある多くの諸兄が胸痛めるのもさもありなんである。