KORANIKATARU

子らに語る時々日記

静かな暮らし第二幕


日の入り後まもなくの時間帯、夕焼け小焼けとはこのような空を言うのだろうか、ほんのり赤みさす西に向けクルマを走らせる。
光がふんだんに降り注ぎ、木々の緑の細部までが輝くかのような快晴の一日であった。
日が暮れても日中を彩った清涼な青がまだ微か空に残っている。

助手席には家内。
まさに歌のとおり「みなかえろ」。
行き先は自宅だ。

この日、二男の学校のクラス役員会があっての帰り、家内が事務所に寄った。
商店街で夕飯食材を調達し、終業には早い時間ではあったがそのまま帰途についた。

今月中旬、父兄のための南部見学バスツアーが行われる。
その打ち合わせのための役員会であったという。

家内から今日あった話をいろいろ教えてもらう。

学校に到着したのがちょうどお昼休み。
校庭をのぞくとサッカーする一団があった。
頭一つ大きい子がいて目を凝らすと二男だった。
制服のまま砂まみれになるのもお構いまし、元気盛んに走り回っていたという。

男子校の子どもたちはみな可愛い。
家内がそう言う。

そうそう、うちの子であろうがよその子であろうが子はみな可愛いい。
私はそう応える。

この帰り道を運転しているとき、最も心くつろぐ。
朝とは向かう方向も心理状態も正反対。
あれこれ気を揉む緊張から解放されて、得も言われぬような充実感を味わえる。
この晴れがましいような気持ちがたまらない。

お決まりのコースを辿りつつ、帰途の心境について家内に話す。
音楽は流さず静かな車内。
時を刻むかのよう、対向車のクルマのライトが等間隔でこちらを照らす。

16年も連れ添い気心も知れた伴侶と見慣れ見知った道を進む時間。
日頃は気にもとめず見過ごしがちではあるけれど、座りのいい日常ほど得難いものはないだろう。

地味で静かな暮らしを積み上げてきた。
これからもそう。


自宅に到着する。

バックで駐車するため前を歩く老夫婦が行き過ぎるのをしばし待つ。
お爺さんは杖をつき、その腕をお婆さんが支えるようにしてゆっくりと歩く。
16年どころではない人生の大先輩の後ろ姿にひととき見入る。

リビングに上がると、食卓テーブルを占拠して長男と二男が向い合って試験勉強に勤しんでいる。
ふたりとも上半身は裸。
気合が入っている証拠である。

その昔、教えたことがあった。
勉強で気合を入れるときは、服を脱げ。
おりゃーと上半身を風雨に晒せば押し寄せてくるのんびり気分を蹴散らせて気が引き締まる。

家内が食事の用意をし夕飯となるが、まるで職場に食料を差し入れデスクワークする袖でそそくさ食事済ませるような図となった。

試験期間中であれば食事であれ就寝であれ起床時間であれ平素と異なってもわたしたちはつべこべ言わない。
取り組もうという意思があれば今はそれで十分。
あとは自由に試行錯誤すればいい。

リビングで勉強をした方が勢いが出るというので、試験引退組である我々は退散することとした。


和室でハイボール飲みつつ家内とテレビを見て過ごす。

いつか見た光景。
その昔、子が生まれる前の頃のことが目に浮かぶ。
貧は貧でも赤貧の駆け出しの時代。
夫婦二人でテレビを見てお茶の間で過ごすような時間があった。
懐かしい。

当時、いまのこの平穏が想像できただろうか。
経てきた風雪もいま思えばハラハラドキドキ続きの楽しい道のりであった。
明けない夜も終わらない冬もなく、いつのまにか子らが育ち、私たちについては逆風かつ険しい胸突き八丁は終わりいまはぶらり歩ける平坦な道に差し掛かったと言えるのだろう。
苦労はうんと若いうちに済ませておくのが得策だ。

共通の趣味は旅行。
この夏の旅は私が提案したので、次の春は家内が計画を練ることになる。

子らが英語を学び始めているので実地の訓練となる場所を訪れることになるのだろう。
そもそも家内は英語が達者。
長男もかなりのレベル、二男は駆け出し。
私については昔とった杵柄に影も形もなく本来の英語音痴へと先祖返りしてしまっている。

家族皆でテーマ持つのも「地味で静かな暮らし第二幕」に向け、いいことかもしれない。
腕力であろうが英語であろうが、いまの時点で子らに負けるのであれば相手に不足がありすぎる。
息子らのためにも父としてまだまだ拮抗するつもりだ。

f:id:otatakamori:20151003085144j:plain