KORANIKATARU

子らに語る時々日記

イタキモは不滅の言葉


阪和線天王寺駅に出る。
いつもどおり人でごった返しているが、仏頂面に占拠される平日とは打って変わり、駅は週末の憩いのなかにあった。

秋の空気も今が旬、人々を労うかのように柔らかだ。

相手が笑えば、こちらも笑う。
まさにそのようなメカニズムで、私も安らいだような気持ちとなる。

そうだ、このままもっと安らごう。
そう決める。
用事を済ませて後、久々に行きつけのマッサージ屋へ向かった。

90分しっかりとカラダを揉みほぐしてもらう。

かつては頭がのぼせるほどの疲労を覚えてから駆け込んだ。
最近はそこまで極度に疲労することがなく気付けばカラダを放置したままとなることも少なくない。

しかし自覚はなくとも勤労するカラダに疲労は降り積もる。

マッサージ屋で夢見心地。
首筋、背中、足裏などグリグリされればされるほど奥深いところがじんわりと反応していく。
血の気が泉のように湧き出し暖流となって全身を巡っていく。

カラダをひと揉み、ふた揉みされることのなんと心地いいことだろう。

イタメシはすでに死語だが、イタキモは不滅の言葉。
ああ、イタキモ。

痛ましいほどにキモいという意味ではない。
痛いようであってしかし明確に気持ちがいいという大人味の触感を意味する官能の呟き。
ああ、イタキモ。


風呂に入ってカラダを温め帰宅する。
家に着くと、まもなくキックオフという時間であった。
ワールドカップラグビーの日本対サモア戦が始まる。

家族四人、壁に架けられた画面に見入る時間を過ごす。

序盤から日本が優勢だ。
起点への集まりが相手に比べ圧倒的に鋭く素早く、ボールのキープ力に安定感がある。
スクラムハーフが惚れ惚れするほどに小器用でパス回しが緩急自在で多彩。
最終ラインから全体を俯瞰するフルバックの判断が俊敏的確でボールの行方を読んで応じる動きは利他的で果敢。
加えてキックも素晴らしい。

このパフォーマンスを集中力切らさず息長く維持されれば、地力に勝るさしもの相手も自滅せざるを得ない。
巨漢のサモア暴走艦隊が総崩れとなり付け入る隙を見いだせず全く為す術がなかった。

強敵に対峙したときにどう対応するべきなのか、お手本とも言えるような戦いぶりであると言え、このエッセンスはラグビー以外でも活用できそうだ。

長男は戦況を分析し家族に解説しながら、一方の二男は押し黙ったまま拳握り締め観戦し、家内は何度も声を上げた。
家内が言った。
ああ痛々しい、こんなスポーツを子どもにさせるなんて、親の気が知れない。
このハードさを目の当たりにすれば女親は誰だってそう思うことだろう。

しかし選手らは痛いことが快感ですらある域で戦っているに違いない。


昨日、出かける道すがらいつものように本屋に寄る。
子らのおみやげにするマンガとして「臆病の穴」を選びレジに向かうが、そのとき「反応しない練習」という書籍が目に入った。
よく売れている話題の書であるようだった。

副題に「あらゆる悩みが消えていく」とある。
そんな訳あるかいなと大木こだま風に突っ込みながら、電車の中での慰みにとそれも手に取った。

承認欲求にまつわる葛藤や苦しみをどう克服するか、を主題とした内容だ。
「こんな風に思われたい、すごいねって賞賛されたい」「そんな風に思われるなんて許せない、腹が立って仕方がない」、貧困や病などを除けば、現代人のあらゆる悩みの源泉は承認欲求に行き着くと言えるのだろう。

その悩みを乗り越える方法として、ブッダの教えを引きながら、「相手を観察し理解し、しかし反応しない」といった心の処し方が語られる。

自らの承認欲求を知った上で、相手の言動から一歩距離を置き切り離し、自らの心の動きに着目する。
そのまま相手の言動を受け取ってしまえば、心乱され自らを苦しめる妄想の餌食となってしまう。
妄想は根拠に乏しく際限がない。

「あの人に認められたからといって、それが何なのだ」、そのように人は人、自分は自分と割りきって、自分がいますべきモノゴトに心を集中する。
そうすれば苦しみを解くことができる。

なるほどなるほどと頷きつつ読む。
しかし、承認欲求については条件反射的な生理反応に近いものであろうとも思える。
火をかざされれば、どう心を整えたところで熱いものは熱いだろう。

実際には火ではなく妄想に灼かれる話なので火傷といった外傷は負わないであろうが、チクリくるのは避けられそうにない。
「あらゆる悩みが消えていく」との謳い文句は大風呂敷に過ぎるだろう。
せいぜい軽減できる程度のことでしかないように思う。

それでももちろん価値はある。
重症が軽症で済むなら、それだけでどれほど多くの人が救われることだろう。

昨年6月の日記にも書いたが、承認欲求への対処については「嫌われる勇気」という名著があった。
「反応しない練習」も「嫌われる勇気」同様、十分に実用に供することができる良書と言えるだろう。

そして、思う。
世には、毒まみれの否定的な言動を浴びせられてさえ嬉々として受容するヒトがある。
意に介さないという消極的対処以外に、何らかの化学変化を内面に起こし、火もまた涼しとそれを「喜んでしまう」という積極的対処もあり得るのかもしれない。
もしそういうことができるのであれば、そちらの方がはるかに実際的で有用なのではないだろうか。

ああ、イタキモ。
承認欲求についてもそのような境地があるのかどうか探索する価値はありそうだ。

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