KORANIKATARU

子らに語る時々日記

慌ただしい一週間2


Amazonから届いたフェルディナント・フォン・シーラッハの本が届く。
「犯罪」の最初の短編を読む。

静かに始まり、静かなうちに物語が進む。
医師が妻と出会い、歳を重ねてゆく。
生活のあれやこれやについて妻の小言がエスカレートしていくが、語りは至って静謐であり、まるでミュートで絵画鑑賞するように筋を追う。

そして突如、妻の顔面に斧が振り降ろされ、妻は即死する。
妻の首に足をかけて斧を引き抜き、夫はさらに振り降ろす。

描写が静か過ぎる。
得体のしれない不安感が込み上がる。

強烈な余韻がぐっさり残る読書体験となった。


水曜日、天満で時間が空いたので天六まで歩き福効医院を訪ねる。
しかし昼休みであった。
そういえば商店街で福効医院の官房長官を見かけたような気がしていたのであった。

サインはあちこちに現れ出る。
しかし、我々はそれに気付かず、見過ごしてしまう。
そして後で気付くのだ。


木曜日、みずきの湯への途上、路上に転がる雀の死骸を見かけた。
電線の上からカラスが狙っている。
私が通り過ぎた後、カラスは急降下してくることだろう。

ふと、雀を食べた夜のことを思い出す。
卒論の仕上げに苦しむ深夜、ええいままよと、早稲田大学51号館を抜け新大久保の居酒屋に三人連れで向かった。

メニューに雀の丸焼きがあった。
みな、卒論の追い込みで疲弊していた。
誰も食べたいなどと思わなかったのに、男の契り、皆で食べようとなった。

丸焼きとなった雀は本当に小ぶりであった。
いっせいのーでと、かぶりつき、バリバリとかじった。

雀仲間たちは、みな元気にしているだろうか。
連絡待つ。
今度はもっとおいしいものを食べよう。


金曜日、弟と予定が合わず阿倍野の正宗屋へ一人で向かう。
隣席のおじさんがどれにしようかこうれにしようかと注文が決められず逡巡するのを尻目に、お勧めどころをずらずらと注文する。

うに、白子、剣先いか、タコ、サバきずし、うなぎ蒲焼、牛すじ、いいだこ、と続々出てくる。
顔面歪むほどの夏色猛暑で干からびたノドをキリンラガーで潤しつつ、料理を平らげていく。
ビールはやはり瓶が美味い。

そして、どの一品もレベルが高い。
この店は、そこらの料理屋など目じゃないほどに美味いのだと再認識した。

つい二日前の水曜日、ミナミのちょっとした料理屋に案内された。
女将がお酌してくれ、お品書きは達筆な墨字であり、風情のあるちょっと高級感漂うお店であった。

しかし出される料理はゴミみたいであった。
トリガイは誰かの吐き出したガムのような味であり、さばのきずしは汗まみれの体臭を彷彿とさせるようなすーい生臭さ漂い、締めのご飯物も肝心のお米が赤ちゃんに口移しで与えるようなねちゃねちゃ感であり、これはもう最期まで食べ切れない代物であった。
それで一人1万円は取られたのではないだろうか。

まずは正宗屋で、大阪スタンダードな味覚を身につけることだろう。
正宗屋の伝統芸とも思えるような給士の働きぶりも目に留めた方がいい。
それではじめて品定めができる。

ビヨンド正宗屋は数少なく、ビロー正宗屋でしかないのにいきった店のどれだけ多いことだろう。

ただ、料理の水準は高いが、一風変わった客に出くわすことがある。
敬遠する女子もいるかもしれない。

そこで提案しておきたいが、料理の水準のスタンダードとするだけでなく、女子を見極める踏み絵としてお店を利用するのはどうだろうか。

このような店を毛嫌いする女性であれば、山あり谷ありの人生を一緒に歩むことなど不可能だろう。
もぎたての子を二人囲んで、何があってもその子を二人で育て抜こうというチームワークも生まれるはずがない。
正宗屋であってさえ、くつろぎ楽しんで、その味を正統に理解し評価できる女性でなければならないだろう。

君らが女子を連れてきたら、セントレジスなどに連れていきはしない。
リトマス試験紙として、まずは正宗屋だろう。
母さんはついてこないかもしれないけれど。

つづく