1
世界は広い。
下町風の飲み屋のなかでは阿倍野正宗屋が断然筆頭と位置づけていたが、ほんの数駅南下した南田辺にあるスタンドアサヒはより一層図抜けていた。
格が違うとはこのことだ。
下町風情という周辺環境においては伍するものの、提供される料理の質が段違いであり、その分、客層もスタンドアサヒの方が幾分グルメ派が多いように見受けられた。
ここは美味いので知っておかねばならないよ、と筋金入りの美食家である親方に連れられたのであったが、全くお世辞などではなく、出される皿のことごとくに感動するばかりであり、挙げて行けば切りがなく、ミナミの格好だけの割烹で得体知れぬ魚介もどきを屠って笑うカネちゃんのことが不憫に思え、あと4回おごってもらえるうちの1回は是非ともここであろうとスケジュール巡らせ、いやいや、まずは父または家内か義父伴って美味堪能しなければならないと、はしゃいで思考が千々発散するまま、次々矢継ぎ早に差し出される料理に胸キュンし続けるのであった。
飲みの回数がめっきり減ったここ最近の不全感が一気拭える食事となった。
2
この夜、スタンドアサヒと引き合わせてくれたのは、70歳となる親方さんであった。
とてもそのようなお歳には見えない。
連日夜明け前から始動し、世間が寝床でもたもたする時刻には看板設置する現場を駆け回り出力全開、時には深夜にまで作業は及ぶ。
唯一の楽しみが、仕事後のお酒。
夕刻、自宅兼事務所を訪れた。
経費は限りなく小さく、仕事はし放題。
何と堅実で合理的なやり方だろう。
ドアを開けるといつもニコニコ柔和な奥様が出迎えてくださる。
妻を娶るならば、と諸要素考えたとき、この柔和さ、性格のふんわりふっくら感は、美貌やスタイルなど何をもってしても代替できるものではなく、年上だからどうといったことでも無論なく、金のわらじはいてでも探すべきはこちらの方であると断言しておこう。
大事なことなので、ここはリピート、もう一度噛み締めてよく読むように。
親方によれば、不渡手形掴まされ絶体絶命のピンチのときでさえ、いつもと変わらず平気のへの字、穏やか柔和なままであったという。
しかしそれも善し悪しだと親方は言う。
こいつはサラリーマンの娘だから身の丈で満足して呑気すぎるんですよ。
機転が利かないから料理が下手で困ったものです。
いつぞやは、つい口滑らせて出されたコロッケが美味いといった途端、次の日もその次の日もどっさりコロッケ作る単純さで、このときばかりは怒鳴ってやりました。
でもね、いくら語気荒げても、平気な顔してるからこっちも途中で笑ってしまうんです。
3
看板を設置する、といっても一言で語れるような易しい仕事ではない。
看板という存在に注意して町を歩き、それがどのように設えられたのかちょっと考えてみればその困難さの一端が想像できるのではないだろうか。
親方は、あらゆる発注先から信頼を得て、70歳を過ぎても仕事の絶えることがない。
数々の難所への設置任務を託され、ミッションインポッシブルさながらそれを生涯やり抜いてきた。
チキンハートでは、交通渋滞招く当事者となって苦情の矢面に立たされたり、何かにつけいちゃもんつけてくる大阪人にたちうちできない。
しかし図太い神経があるだけでは足らず、トラブルを予知する器量の有無がことの運びに大きく作用する。
道路使用許可を得るため警察に事前相談するのが大半のケースだが、それがかえって工事を不首尾に終わらせかねないと判断した場合はタイミングをずらすといった機転を利かさなければならないこともある。
神経研ぎ澄まし、近隣で苦情の発信源となりそうな何かを察知すれば先に手を打つ。
現場近接への挨拶も欠かさないが、相手がややこしい筋の人であればあるほど、逃げず早めに対応することが重要になる。
怯んで一歩出遅れれば、自分の首を絞めることになるだけだ。
毎年GWの頃、郷里山陰での墓参りを欠かさない。
志願兵となって戦死し名誉市民となった父を思えば、恐れることなど何もない。
深夜、繁華街の人通りも絶える頃、ビルに横付けしたクレーンで高所へあがり曲芸師みたいに瞬く間看板設置する人影あれば、それはスパイダーマンなどではなく、70歳の親方さんである。