KORANIKATARU

子らに語る時々日記

店員さんへの態度で人となりが分かる

今夕は飲み会となるかもしれない。
そう考え電車で事務所へ向かう支度をしていた。
メンツは不明、呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーんであるが、メンズであることだけは確かなことである。

突如揺れを感じる。
まさか冗談だろうと戦慄する数秒感、揺れは止まない。
3階へ駆け上って家族の様子を確認する。
みな目を覚まし揺れにおののいている。
幸い実害は何もなかった。
揺れで食器棚の扉が自動で閉じてしまって解除の仕方が分からない、困ったのはそれくらいだろうか。

何の問題もないことを確認した後、駅へ向かった。
5時台のホームであるが、何本もの電車が遅れているせいだろう多くの人が電車を待っている。

ホームに人は増えるが電車が来る様子がない。
10分遅れのアナウンスが15分となり20分となった時点で私はJRに乗る事をあきらめ家に引き返した。
改札でネチネチと駅員に文句を言う人を制して駅を後にする。
結局午前中神戸線は運転見合わせだったので、あの時ホームで待っていた人の誰一人として電車に乗れなかったことになる。

家では長男が登校の用意をし家内がクルマで送ると言うにもかかわらず電車で行くと強弁している。
住吉やさくら夙川から乗ってくる友達と合流して学校へ行くと約束しているというのだ。
ネットで運転見合わせの掲示を見せる。
あきらめたようだ。
入学式は台風、新入生歓迎会地震、エピソードに事欠かない滑り出しである。

学校では既に11人の友人ができたらしい。
友人らと肩並べて学校へ向かう姿を想像してみる。
饒舌にあれやこれや喋っているのだろう。
微笑ましい。
友人らが持つエッセンスをしっかり吸収することである。

あまりに自分でありすぎるより、他者の空気も交えた方が絶対にいいのだ。
大人になればなるほど痛感する。
自分では対応に戸惑う事柄でも、友人の誰かを思い浮かべれば、「あいつならこうするだろう、こんなものの言い方するだろうな」と突破口が見えることがある。

例えば、仕事を断るのが苦手な私であり、ものの言いようを考えあぐねることしきりだが、友人を思い浮かべればその口からヒントとなる口上が聞こえてくる。
こういった引き出しが多いと重宝するのである。

第一、いい友達に恵まれると元気が出る。

ニュースによればますます電車はどこもかしこも運転見合わせの輪が広がるばかりで動き出す気配がない。

学校は休みになるのだろうかと長男は心配そうだ。
今日は図書館で本を借りる予定のようであれやこれや借りる候補をすでに考えている。
充実していてどんな本でも揃っているらしい。
今日は村上春樹を借りるつもりだという。
新刊に人が殺到するニュースを見て触発されたようだ。

エッチな描写が多いのでいまだチンゲンサイな長男には早いだろう。
性的なものに向き合えるようになるまでは混乱するだけかもしれない。
それで我々が中1のときに読まされた井上靖天平の甍を薦めておいた。

クルマで向かうかどうか迷っていたが阪神電車が徐行を始めたというので、家内に買ってもらった春らしいニットとこれまた春らしいバッグを携え歩いて甲子園の駅に向かう。
甲子園口なら歩いて5分だが甲子園となると40分はかかる。

静かで瀟洒な住宅街を流れる新堀川沿いを歩く。
新堀川は江戸時代に武庫川に沿って設えられた用水路だということだ。
せせらぎに浮かぶ桜の花びらに歩調合わせ南へと向かう。
椿三十郎の映画で椿が流れるシーンが思い浮かぶ。

そうそう、黒澤明の映画は観ておく事だ。
白黒の世界で描かれる男達の造形がとてもいい。
古き良き日本人像、力強い日本人像の一端に触れそこから学ぶことも大切なことだろう。

朝、駅員にネチネチ偉そうに苦情していたおじさんのことを思い出す。
どこまでも小さく卑小で、なんでそんなにまで小さいのだ。
駅員や店員などに偉そうにする手合いは見ていて不快になる。

男であれ女であれ、そのような人からは一歩距離を置く事だ。
そのような態度から本性が垣間見える。

いくら親切に、丁寧に、にこやかに接してもらっていても、店員などを見下したような横柄な態度を目にした瞬間に寒気して急降下、この人のニュートラルはこの冷たい顔であり、いま私にする慇懃な態度は取ってつけたものにすぎない。
いつ返す刀でこのような態度を私自身に向けてくるか知れたものではない。
やるかやられるかという関係にしかならないとなれば、親しみも湧かない。

子供の方がこのあたりのセンサーが敏感なので、炭坑のカナリヤではないけれど、子の反応で大体人となりの察しがつく。
タコちゃんとも鷲尾先生ともおれ友達やで、と生意気にも語る二男の一言で田中先生と鷲尾先生の人柄の良さがしみじみと理解できるというのと同じことである。

さてさて、桜もあらかた散って春も落ち着いてきた。
ぼちぼち我が家も子育てに最適な地味で静かな日常に舞い戻っていこう。