KORANIKATARU

子らに語る時々日記

相続セミナーとある母の肖像

リッツへ向かう。
夕刻4時から株式会社フォーユー主催の相続セミナーが行われる。
幹部である相良さんに声をかけていただいたのであった。
医師など高額所得者を対象とするセミナーである。
私については高額所得者が友人にいるというよしみでの参加となる。

リッツの敷居をまたぐ服装になっているだろうか自問自答する。
シャツはイタリア、ニットはアメリカ、ジャケットはイギリス、時計はスイス、カバンはフランス、、、上半身は有り合わせの多国籍軍であるがまあ水準には達しているだろう。
しかし、ズボンと靴下はユニクロだ。
靴はマドラスのウォーキンズシューズ。
眼鏡は広島。
そしてメタボでハゲ。

自らを値踏みしロビーでオタオタ小さくなっていると相良さんが迎えに来てくれた。

事業継承の際の退職金の重要性や株式の集約、株価の圧縮などとても身近な話がたいへんに分かりやすく繰り広げられる。
株価の計算方法など今まで忌避していた内容も驚きの分かりやすさで説明施され理解できた。
収穫大、とても有益なセミナーだとリッツのコクある珈琲を含みながらしきりに講師の話にうなづく。

周囲見渡すが知った顔がない。
今日は飲み会はなさそうだ。

事業継承から相続や贈与についてテーマが移る。
日本では、第一次相続に直面する長子の平均年齢が48歳、第二次では60歳。
40歳過ぎればそろそろ相続について本腰入れて向き合わねばならない。
講師の話に引き込まれてゆく。

親が老いるばかりではなく自らもどうなるか知れたものではない。
子はますます育ち盛りでお金がかかる。
相続人として、あるいは被相続人として我がこととして問題を捉えなければならない。
いざという時の相続税への備えとして現金の準備も欠かせない。
年収1000万円でも年収2000万円でも若い日本人はあればあるほど使う傾向があるので手元に残る額には結局差がない。

年収4000万円の人の話が中心帯として例に引かれるので、その度、我に返る。
10分の1に差し引いて話を聞かねばならない。

実際の相続では、理論ではなく感情論が渦巻くという。
親が何も考えておらず分配の仕方や誰に何を相続させるかを決めていない場合、相続が争族と化すケースが多い。
現金なら分割できるが、不動産や株式などは、分割すると以後登場人物が増えることにより争いが混迷を深める。
せっかく親が子のために1棟ずつ収益物件を準備し、兄弟分揃えても、築年数や物件の所在を巡って俺はこっちがいいと一歩も譲らない骨肉の争いとなることもある。
なかには、当の兄弟を差し置いて、嫁同士が諍い起こし身内の行き来が絶える程の揉め事に発展する。

子らの顔を思い浮かべる。
うちの小熊ちゃんたちが、どこかの欲の皮が張った我利我利亡者のとばっちりで仲違いするなどあってはならないことだ。
結婚相手を選ぶ際には互いに兄弟間での事前相談を欠かしてはならない。
生活資力には困らない男になっているはずなので、そんなちっぽけな財産なんていらないと言えるような女性でなければならないだろう。

相続の話になると、欧米では子に残さず親が使い切るのが当たり前なのですわよ、子に残すことを前提にする話はちゃんちゃらおかしいわという欧米かぶれの突っ込みもあるだろうが、老後の環境など大きく背景自体が異なることでもあるはずなので、欧米ではどうなのかピコリン星ではどうなのかそういった話に関心湧かないこともないけれど、一旦はそのような意見には耳を貸さず東アジア的文化を前提に話を進めよう。

講師の話によれば、親は子や孫に、財産を残そうとする。
そして、なるべく税金がかからないように知恵を絞る。

私が関わったある老女のことを思い出す。
亡くなられた際に判明したのだが、びっくりするような額の現金を残していた。
団地住まいであり、女手一つで3人の子を育て、地味な内職を生業にしていたので、まさかそんなにお金があるなんて、と残された子供達は驚愕した。
お金持ち風情で景気よくやってる人でもそう簡単には届かない額である。
執念で貯蓄されていたのだろうと思う。

そのような晩年の過ごし方がいいかどうかなんて他人が口出しできることではない。
しかしそのお金によって、子供達3人ははっきりと明確に救われた。
メーカーに勤める長男は50を過ぎ賃金が下降し始める兆しに直面していた、しかも晩婚であったため教育費がまだまだか
かる、長女はアパート暮らしで腰やら膝やら持病が悪化し仕事も休みがちであった、次男は老朽の激しい持ち家を修繕する費用を持ち合わせず苦慮していた。

それらに見通しがつくだけでなくお釣りまで残る程の額を母は残してくれた。
旅行したり食べ歩いたり、母はそんな楽しみには目もくれずお金を貯め、結果、子らの難局を救ったのであった。

そのような生き方を諸手あげて奨励するわけではない。
しかし、今が楽しければそれが一番、人生自分のために楽しまないと損々、という価値観の方も果たして完璧に正しいのか疑問である。
自分がいい思いするよりもその分で子が難局を切り抜けられるなら、その方が嬉しいという感じ方も当然にあると思うのだ。

子を持ち親になると、お金や時間を自分のためだけに使うことの味気なさが徐々に肌身に染みてくるように思う。

自分自身については花咲く場面が少なく根や茎である役割の方が多くても、水や養分を伝えその先の先に花や実がなればよく、別に自分が花や実でなくても、それはそれで構わない。
これはうちの家内も同じだろうし、家系全部が揺るぎなくそのように一貫していると言えるだろう。

もちろん、そうじゃなく子のままであり続ける人もいるだろうし、我が身が花咲くことにこだわる人もあって、それはめいめいの役割であり干渉することではない話だけれども、そうではありながら、うちの男子二人の息子には、人が生きた結果というのは何なのかということをまだ見ぬ配偶者とともによくよく考えてもらいたいところである。

セミナーを終え、事務所まで歩く。
相良さんはじめフォーユーの皆様、たいへん貴重な学びの機会を与えていただき感謝致します。
御社が毎月主催されるセミナーの意義深さを知ることができました。
またチャンスあれば是非とも参加したくお願い申し上げます。