1
土曜日の午前中に今週の整理をし来週の段取りを行う。
これでずいぶんと見晴らしがよくなる。
難敵でありかなり手こずらされた尼崎の案件が今週末に許可となり、来週はほぼ半年かけて準備してきた申請がようやく3件ほど片付く見込みだ。
その空隙を埋めるかのよう更にまた仕事が立て続く。
懐かしいような方から電話があり受けるとそれが新しいミッションの報せであったりする。
日常の定型業務があって、そこに様々思い出深い印象を残していく単発業務が折り重なっていく。
時の経過は常に駆け足で、気付けばまたあの極限の煩忙となる年末が訪れようとしている。
2
予定が変更となった。
二男と待ち合わせていたが学校に電話し直接家に帰るよう伝言を頼む。
訪問先へのおみやげに買ってあった果物を手にし夕飯を物色しつつ帰途につく。
両手にずっしり荷物を抱える。
腕が引きちぎれそうなくらいに重い。
あともう少し、あと二駅だ、あの角を曲がればもう家だ、と小刻みに自らを激励しつつ何とかゴールのテープを切った。
長男は寝ている。
家内は留守で二男の帰宅はまだ先だ。
仕方ないのでひとりリビングで映画を見る。
3
「マラソン」をデッキにセットする。
韓国映画である。
自閉症の青年が主人公だ。
取り柄はないが走ることだけは得意である。
母は息子をマラソンに取り組ませる。
まさに二人三脚というほどつきっきりで母は尽力する。
だから家庭はお留守になって亭主は外に追いやられ、もう一人の息子である弟は顧みられない。
家庭は崩壊の兆しをはらんでいる。
ここに往年のマラソンランナーがコーチとして登場する。
ボストン・マラソンで優勝した経歴の持ち主だが、いまはパッとしない。
男やもめといった暮らしぶりであり、落ちぶれた雰囲気を醸し出している。
この飄々とした男が、共依存ともいうべき母子の間に割って入り、その関係を再構築し、結果、家庭をも再生させる働きを果たすことになる。
母は、コーチの登場によって自身のエゴに気づくことになる。
苦しいマラソンをも息子に押し付けてきたこれまでのあり方を心から悔み、今度は正反対、マラソンをさせまいとするようになる。
そして、主人公の青年はマラソンを取り上げられる。
しかし、そのことによって主人公の青年は、走りたいという自身の内から発する強い意思に開眼することになった。
自分の足で彼はマラソンの大会に向かう。
気づいた母が出場を回避させようとするが、青年の意思は変わらない。
彼が精神的に独立していく様子と、走りつつ描かれる彼の心象的な光景が感動的だ。
母の苦労が報われる。
4
食後、家内からその日の話を聞かされる。
二男の学校のママ友らと集まったようであった。
どこもかしこも母は息子を思って一生懸命だ。
お腹をいためて子を産み、さらに今にいたっても子を巡って頭やら胸やらを「いためている」ような存在が母なのであろう。
しかしきっといつの日にか報われる。
自分の足でスタートラインに立ち、いつか息子はたくましく一人で走り出す。
母から受けた愛情を胸にしまって。
あとは見守るだけのこと。
喜ばしいようなシーンがこの先数々息子によってもたらされるに違いない。
遠からず、ママ友の会はそのようなことを語り合う場となるだろう。