1
いつも使うガソリンスタンドは朝4時から営業している。
そこを通りかかるのはきまって明け方。
5時を過ぎれば時折混み合うが4時だとほとんど客はない。
夏であれば白み始める空を見上げつつ、冬であれば暗がりに消えていく白い息を眺めながらノズルを持つ。
日記を振り返ると、どのような巡り合わせかクリスマスの朝は毎年給油から始まっている。
今朝もそう。
FMから流れ続けたクリスマス・ソングが耳に残るが、この時期ではあり得ないような暖かさの早朝。
生ぬるいようなクリスマス。
ムードはいまひとつだ。
何年もこのように過ごしてきた。
この先何年これを繰り返すのだろうか。
ぼんやりと思い巡らせながら、今年も仕事納めまで秒読み段階、無事に終わりつつあると安堵する。
まもなく一年のうち最も心おだやか過ごすことのできる年末年始を迎えることができる。
ところで福効医院についてはまるで救急病院みたく大晦日まで診察業務を行うようである。
2
昨夜の二号線はクリスマスイブということもあってなのだろう、今年一番の混み具合であった。
歌島橋渋滞の表示は常日頃せいぜい700〜800mであるが、この日1.5kmとの表示を初めて目にした。
道中にケンタッキーが2店あってどちらも長蛇の列であった。
イブとチキンはセットの情景。
家族揃う食卓にはチキンが似合う。
クリスマスを子は単純に喜ぶが、大人は少しばかり事情が異なる。
クリスマスによって日頃の寂しさを慰撫される人があり、一方でその寂しさがいや増しとなる人がある。
寂しさと無縁であれば、クリスマスであるからと殊更込み上がる感興は露もない。
家族と暮らすのが普通の常態。
寂しいと思うことがない。
ほぼ連日、家族と食卓を囲むのであるから、毎日がクリスマスのようなもの。
3
通常の倍の時間を要して、ようやく家に辿り着いた。
長男は神戸までラグビーの練習に出かけて留守であった。
もはやサンタについて鼻もかけないという歳となった。
いつの日か自らが扮するようになるまでサンタについて思うことはないであろう。
この日、長男の滞在先のホストファミリーが決まった。
聞くにつけ見るにつけ、とてもいい感じの家族という印象だ。
一安心である。
歳の近い少年がいて、幼い男の子がいて、同年代のドイツ人留学生が時を同じくして同居することになる。
エピソードに富む三ヶ月となるに違いない。
そしていつかそこで知己得た誰かが我が家を訪れる。
そのような心楽しいシーンが思い浮かんでくる。
仕事の合間合間、結構手間取ったがやれやれである。
ほぼ準備は整った。
あとは出発の日を待つだけとなった。
滞在先住所を検索しネットで地図を見る。
ストリートビューを使ってそこらを散策してみる。
私がそこを訪れるような気分となってくる。
もちろん気分だけのこと。
私は明日も明後日も事務所へと通い、渋滞の車列に揉まれて明日も明後日も帰宅する。
4
家内と二男と私、その三人での夕飯となった。
骨付きもも肉で乾杯する。
今夜もメリークリスマス。
とても美味しい。
聞けば商店街の名店焼鳥屋のものだという。
カーネル・サンダースみたいに、いつか駅前に店主の像が立つだろう。