1
師走終盤の祝日についてはその恩恵に与ったことがない。
御用納めに向けての追い込みの時期である。
休んで憩うなど夢のまた夢。
必死のパッチで仕事することになる。
男二人ジーンズ姿で出勤。
肉体労働さながらに事務作業をこなしていく。
昼過ぎには峠を過ぎた。
あとは麓まで下るだけ。
上りから下り、この潮目のような刹那の味わいがたまらない。
仕事の山頂に吹き渡る風が火照った頬を優しく撫でる。
ほっと安堵し、そしてじわじわと充実感で胸がいっぱいになってくる。
今年も山場を乗り切った。
スローダウンしつつ夕刻前には後片づけに入る。
2
家内からメールが入る。
白菜、春菊、白ワイン、鍋用の魚を調達しなければならなくなった。
商店街に寄る。
白菜が丸ごと一個で180円。
タダみたいな値段だ。
しかしこれがでかくて重たい。
買物バックを白菜が占領する。
隙間に白ワインのボトルを逆さにして入れる。
満海で鍋用にアンコウ、カワハギ、有頭エビを買うがこれはもう仕事用の鞄に入れるしかなかった。
そして、雨が降り続く。
しかもこの日に限って私は電車通勤だ。
自宅までの道程が苦行となった。
3
腕は二本しかないが、傘、買物バック、仕事鞄、この三つを運ばなければならない。
荷はいずれも重く、傘は差さねばならず、空いた手で二つの荷を持てば腕が引き千切られるかのようであって難渋し、傘差す腕で一つの荷を持てばこれまた片手で重量挙げしているようであってたちまちのうち限界が訪れる。
大道芸人が玉回しすような要領で、ゆっくりゆっくり荷を循環させるように持ち替え続け歩く。
大道芸人のように笑顔でという訳にはいかない。
苦悶の度は時間を追うに連れ増していく。
祝日の夕刻、電車は混み合っていた。
とても座れない。
ビルの高層階、今にも落下せんとする誰かをすんでのところで捉え、渾身の力ふりしぼって、片手でつながっている。
映画でよくみるような、そんな図が思い浮かぶ。
私の両手はそのように塞がったままだ。
重さが堪える。
私は電車の床について衛生的な信頼を寄せていない。
どこで何を踏んだか分からないような無数の土足がこれでもかと着地し踏みならした場所である。
つまりは奈落の底のようなもの。
大事な荷をそこに接地させるなどとうてい考えられない。
遅々と進む電車のなか、私は重さに耐え続ける。
4
だんだんと厭世観に苛まれていく。
なぜこんな目に遭わなければならないのだ。
私は仕事していたのだ。
夕飯の買物なら家にいる者がすれば済むことではないか。
家から3分も歩けばスーパーがある。
私がわざわざ仕事場近くで買物せずともそこで何でも取り揃う。
白菜は180円ではないだろうが、この苦行は180円では済まされない。
だんだん白菜が疎ましくなる。
白菜も買えぬほど苦労させている覚えはない。
大の男が休日の電車で立ち尽くし、白菜にてんてこ舞いとなっている。
その労苦が耐え難くなる。
5
自らを悪感情がみるみる席捲していく。
悪感情にまみれて得る黒く淫らな悦楽がおいでおいでと私を手招きするが、私はそこで立ち止まって引き返すことにした。
白菜を買ったのは私であった。
生易しい重さではなく運ぶのが困難であると買ったときに予見できたはずであった。
誰かが悪いわけではない。
帰途、家の近くのスーパーで白菜を買うといった選択もできた。
機転ひとつ利かせなかった私の責任に他ならなかった。
自らが招き寄せた事態なのだった。
気持ちが鎮まっていく。
一方で重さに対する闘争心が湧いてくる。
祖母らが行商でかついだ荷はこんなものではなかったはずだ。
白菜ひとつで大の男が何をほちゃほちゃ言っているのだ情けない。
何のこれしき。
力が込み上がってくる。
平然涼しげに私は二つの荷を引っ提げ続け、駅を降りて悠然と傘を差し、コンビニに寄ってビールとハイボールまで買った。
何の事はない。
余力十分であったのだ。
6
帰宅する。
さあ、夕飯だ。
終日試合があったようで二男は疲労困憊、和室でのびている。
長男は長湯の最中。
家内と二人で鍋を囲む。
ワインを開け、グラスふたつに注ぎ乾杯する。
アンコウと相俟って白菜がふんわり甘くとろけるほどに美味しい。
重いのを運んだ甲斐があったよ、と家内に笑って話す。
暖炉に集まるように、子らも鍋に吸い寄せられてきた。
具材は盛り沢山、お酒もたっぷり用意してある。
ひとつ鍋を囲んで芯から暖まる夕飯となった。