KORANIKATARU

子らに語る時々日記

息子とみる夢

風呂を出て携帯に目をやる。

メッセージが届いている。

二男からだ。

 

彼とはラインを通じ気に入った曲や映画について情報を交換する。

だから画像も動画もないただのテキストデータは珍しい。

「いつかインド行こな」との彼の言葉をしばし見つめる。

 

ともにインド映画好き。

だからインドへ行こうとはかねてから話し合ってきた。

 

いまちょうど定期試験の真っ最中。

勉強の合間、インド世界がパノラマのように脳裡に広がって、ついつい親父にラインした、といったことなのだろう。

 

「おお、行こう」

そうわたしは返信した。

 

大学2年の夏、インドを旅した。

深夜、ボンベイに到着し、夜明けにはお腹をくだした。

口にするものによほど注意を払っていたが無駄だった。

ちなみに、日本に帰国してからも引き続き3週間、お腹は不調のままだった。

 

旅の出だしはバックパッカー気取りで安宿などにトライした。

が、豪華なホテルでも破格に安いと知ってからは、各地のアンバサダーホテルを定宿にすることになった。

 

お腹の具合がイマイチなだけで、結構優雅に過ごした旅だと言えた。

 

移動手段についても、荒野を弾丸のように走るバスに乗って内陸部に移動し、鉄道でハイダラバードに到るまではバックパッカーさながらであったが、そこからデリーまでは飛行機、そしてまた飛行機でカルカッタ、そして飛行機でマドラスといったように楽をした。

 

日本の日常の対極をこの目で見る、との当初の目的は序盤であっけなく忘れ去られた。

そして、そのように楽をしたにも関わらず予定の半分2週間ほどで音を上げることになった。

 

航空券の予約変更をしてくれるとのブローカーにすがってミエミエの仕方で焦らされ値打ちつけられても、日本に帰れるのなら残りの予算を全部渡しても惜しくはなかった。

 

だからインドで最も印象に残っているシーンは帰り道。

未明の時刻、タクシーに乗りマドラスのホテルから空港へ向かった。

前方の路面を街路灯が無骨に照らす。

わたしはただただ前方を見据え日本を思った。

そのときの排気ガスの匂いはいまも鼻孔に残っている。

 

以来、30年近くの月日が過ぎ、まさか息子とインドへの旅に思い馳せることになるとは夢にも思わなかった。

 

息子がいるとその分、夢が増える。

夢はいいものだが、息子と見る夢は更にいい。

 

あとは具体化。

二男とわたしの一大プロジェクト。

ぜひとも実現させたい。

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