社会生活を送っている以上、どんな状況であれ身だしなみは整える。
顔を洗い、髭を剃り、歯を磨き、服を着る。
習慣としてそれら行為は暮らしに根付いているから、たいていどんな場合であっても一通りをなぞることになる。
が、たとえば身内に深刻な事態が押し寄せているというようなときには、習慣に亀裂が入る。
まずはその身内に駆けつけ寄り添おうとするであろうし、事情許さずそれが無理であっても気にかかって仕方なく習慣の優先順位など後方に退いてそのままの日常を過ごすなど考え難いということになる。
取るものも取りあえず、という状態になるから一部はスキップされて当然だろう。
当今ではインスタ映えもすっかり暮らしに浸透し、もしかしたら身だしなみレベルの習慣に位置づけられるのかもしれない。
身内の一大事であるにも関わらず、そうと知って時を同じくして為された麗しのインスタ映えを先日目にしてしまい、よほど強固に根付いた習慣なのだとインスタの影響力に感心させられると同時、そこに耐え難いような軽さがあけすけ見えて足元崩れるような恐怖を覚えた。
楽しげな言葉とおめでたい写真で盛り付けられたインスタは、時と場合を一顧だにせずそこのけそこのけと深刻な事態をものともしない。
節度と良識あってこその人間と思えば、そこに垣間見えたのは身も蓋もないような形での、人間の終わり、であった。
多くの方がそれを醜悪と思う理由がしみじみと理解できた。