KORANIKATARU

子らに語る時々日記

大人がでかく見えたあの当時

日曜日、明石で仕事があった。
世間は正月休みの最終日、そんな日に阪神高速第二神明と長々運転する気がしない。
たいへんな混み具合に違いない。

電車で行く。
新快速なら明石まで40分足らずである。
珍しく空席が目立つ。
ボックス席に陣取り車窓から見える年始の街をぼんやり眺める。

徐々に覚醒のレベルが高まってくる。
仕事が要求するレベルまであと一息というところ。
休みボケのかすんだ意識がぐんぐん晴れてゆく、この心地よさが仕事の醍醐味の一つだろう。

須磨で光量が一気に増し、視界に海が開ける。
果てなく広がってゆくような海の眺めは、どこまでも目に優しく大阪のカオスの対極にある。
須磨を越えると、いつも何か心気を刷新するような地の力を感じる。

明石駅で降りる。
暖かな日曜日の午後、若いパパやママに引率され明石公園へいそいそ向かう子供たちの一団の笑顔に心が和む。
日本がこれからもずっと素晴らしい社会でありますように。
願うような気持ちになる。

さあ、大人は仕事だ。
気分を高めてタクシーに乗り込む。
休日の県道小部明石線を北上して行く。

運転手が言う。
10年程前、年末年始の魚の棚はたいへんな活況を呈していた。
ここ数年住宅の開発が進み人口は増えているが、地元の人間はスーパーマルナカに流れ、明石のシンボルである魚の棚は少しずつ少しずつ賑わいを失っている。
大手の魚屋がマルナカへの卸しをしているので新鮮で良質な魚が安く手に入る。
舌の肥えた地元民は迷わずマルナカへ向かうようになった。
マルナカには170台もの駐車スペースがあるが入場待ちのクルマが路上に溢れることすらあるという。

仕事の面談を終え、夕刻明石駅に戻ってくる。
家内から連絡がある。
明石で仕事だというので家内は二男を伴い明石で待機していた。
明石公園の池でスワンボートを漕ぎ、鳥にエサをやり、魚の棚での買い物も終えたということだった。

寿司の大和で待ち合わせることにした。
明石にもいろんな寿司屋があるが、大和が一番、つまりここら関西広域を通じ最高の部類に入る。
しかも安い。
最上等のネタを惜しげもなく振る舞われ、この値段なのかと誰であっても吃驚するに違いない。
よくもまあこんな良心的な名店と出合えたものであると我ながら感心する。

2号線を西に歩き、樽屋町の交差点に向かって左折する。
二男が店の前に立ちこっちを見ている。
私に気づき、ジャンプするように大きく手を振る。

二男の視点になってみる。
明石で遊び、馴染の店に久々やってきた、パパが来るのを待つ、まだかまだか、あっパパが現れた。
どれだけパパが頼もしく映ることだろう。

大和は開業10年になる。
子らが寿司を食べられるようになった頃から折に触れ通ってきた。
足繁くというわけにはいかなかったが、足は遠のいても大和のことを忘れたことはなかった。
寿司の美味しさを満喫しながら、同時に子らの懐かしい思い出にも耽ることのできる店でもある。
子らの成長と軌を一にするようにこの名店は我々の中に存在してきたのであった。

おすすめを次々に味わっていく。
まずは車エビ、ここで家内は声がもれた。
それほどおいしい。
塩とレモンで食べるトロとウニ。
私も唸る。
分厚いシマアジ、とろける貝柱、香ばしいうなぎ、もちろん明石であるからタコ、そして赤貝にはまち、かんぱち、おいしいネタが尽きない。
続いてちり寿司。
鯛、鯛皮、ヒラメと続く。
ネギとポン酢がネタの風味を際立たせる。
締めはイカしそ細巻き。

大満足である。
日頃西宮や事務所の野田周辺でもしょっちゅう寿司を食べるが、こことは魚が違うし、握りの技術が比較にならない。
大阪界隈では寿司という名の別の料理をその気になって口に放り込んでいるだけである。
遠方から頻繁に通うお客さんが多いというのも頷ける。

賛辞を家族で述べ合いつつ帰途につく。
明石焼きゴでお土産を買う。
明石に来たら玉子焼は外せない。

新快速に乗る。
あっと言う間に芦屋となり、普通に乗り換え甲子園口で降りる。
そこで思い出した。
ああ、あなごを忘れてしまった。
大和であなごを食べ損ねてしまった。
明石ではあなごも外してはならないのだ。
次回には必ず。
捲土重来を期す。

風呂上がり、子に友人からの年賀状を見せる。
この人はこうだ、あの人はああだ、そうそう、この高安くんなど忙し過ぎて何年も会ってないが伝説の人物なんだ、一皮剥けるの八木くんもこりゃ凄いやつだぜ、そのような説明を自慢のように繰り広げて行く。
子は興味津々聞き入っている。

子供時代、身の回りの大人が大きく見えるのは、いいことであるに違いない。

ついでに子に聞いて見た。
角を曲がって寿司屋の通りにパパが現れたとき、どう思った?

パパ、めっちゃでかかった。
家で見るより全然でかかったで、プロレスラーみたいやった。

それほどでもないよ。
照れ隠しのように言う。
自分で自分をでかいと思うほど図々しくもない。
しかし、そう、子に対してはいつまでもでかい父、でかい大人でい続けたい。
仕事始めの初日、この一年を通じての思いのようなものの芽をしっかりと感じることができた。

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