KORANIKATARU

子らに語る時々日記

サクラサク前線飲み会で中学受験を振り返る


場所は法善寺横丁の鯛めし銀まる。
今年受験パパとしての役目を終えた33期の面々と祝い酒を酌み交わした。
奮闘の成果あって皆が皆ピカピカの結果を得た。
肉厚美味な魚介をつついてワインがぶ飲み、それぞれの吉報を楽しく交換し合う場となった。


西大和が第一志望格の学校として存在感をますます強めている。
皆の話を聞いて、そのような印象を受けた。
この日耳にした様々な事例を総合すればそのような観測が成り立つと言うしかないだろう。

もちろん地域的特性や属した塾の方針などによる情報の偏りはあり得る。
しかしそうであっても兆候として見逃せない流れであろう。


抜群に優秀なら灘、そのような灘一極の関西中学受験の様相を西大和が切り崩し始めていると言えるのかもしれない。

灘でも受かるだろうという層のうち、揺るぎなく西大和を第一志望とする受験生が生まれ始め、現時点では例外的に取り上げられる話であっても、いずれはひとつの潮流となる、そう思える程に、第一志望校として西大和を目指す受験生が増えていると皆が口を揃える。


そして、これは関西の受験地図を塗り替える動きとして可視的に捉えることもできそうだ。

灘甲陽を本丸として展開してきた関西中学受験の主戦場が少しずつ少しずつ変化しはじめているのは志願者数の増減から推し量れることであるように思える。

西大和を第一志望とすれば、灘や甲陽を受験する必要がない。
灘や甲陽の入試で二日間拘束され、二日目午後にその足で西大和を受験するとなれば、疲労もあいまって実力を発揮しがたいであろう。
今回甲陽に合格したにもかかわらず西大和を落ちたという人が相当数あったことからも遠路おしての強行軍がどれほどハードか窺える。

よりよいコンディションで第一志望の西大和の試験に臨むなら、併願校としては大阪星光が最適となる。
前日の前受け校として、またレベル的にも腕鳴らしとして相応であろう。


今年、灘と甲陽の受験者数が減少し、星光の志願者が増えたのは、そのような背景があってのことなのかもしれない。
やはりどうやら、西大和が、徐々に地図を塗り替えている。

そしてその流れであれば当然、従来は大衆的な域のレベルの西大和の難度であったが、ハードルが一段も二段も上がることになる。

これまで第二志望以下の浮動票的受験生を取り込んできた西大和は、もはや滑り止めという学校ではなくなった。
合格者数を絞っても歩留りがいいので追加合格を出す必要もない。

今後さらに難化していくのだろう。


もちろん、地域的に隣接するがため対となって比較される大阪星光も古くからの難関校であり、大阪では第一志望格の学校として揺らがない存在である。
西大和の抑えや滑り止めといった位置づけになることはない。

我々が易易と合格できた当時の星光とは大違い、棚からボタ餅と言うべきか、西大和と軌を一にするように大阪星光も難化の度を強めている。

西大和が存在感を増せば増すほど、その影響をもろに被る大阪星光はかつて優位であった立場に安閑とする訳にはいかず、声高にアピールすることはないにしても「企業努力」を余儀なくされる。

これはいい意味での波及効果、相乗効果と言えるだろう。
西大和が投じた一石の波紋は案外大きい。


子の教育において実現して欲しいと思うすべてを提供してくれる西大和。
学業について厳しい一方で海々山々で教師と級友らと一体となって6年過ごしいついつまでも家族的雰囲気が保たれる大阪星光。

どちらも長所際立つ学校であり、日本的慣用表現を用いれば、西大和と星光はミニ「早慶的」なコントラストを為しているとも言えるだろう。

革新的な試みにあふれる西大和が「進取の精神の早稲田」であり、地の塩・世の光を標榜する大阪星光が「社会の先導者たらんとする慶応」と見れば、なるほどうまい喩えのような気がしないでもない。

この構図で競い合えば、今は別格の甲陽や東大寺とは別種の魅力を放つ学校として磨きかかっていくのではないだろうか。

実際、今年の大学入試実績は、西大和も星光も強者揃いで大いに期待できるもののようだ。
その結果も伴えば、今回観測し得た兆候は、潮流へと飛躍していく可能性が大きいと言えるだろう。


そして、西大和の話が出れば東大寺である。
奈良においては絶対的な東大寺であり、偏差値的にも大阪星光や西大和を大きく引き離し一頭地抜けているのであるが、大阪や阪神間では、やや鳴りを潜めている感がある。

大阪においては33期の仲間の子らも含め、星光、西大和、東大寺と受けるのが定石であるが、東大寺についてはついでに受けたよといった感が強く、私が知る限り、東大寺しか受からなかったという場合を除き大阪では売り相場であるようで、積極的に進学先に選んだ人はなかった。

東大寺の受験者数が今年大きく減少したことも含めて考えれば、偏差値よりも交通の便や教育方針といったものが選択の要素とされ、意外ではあったのだが第一志望とする層はそれほど多くないのかもしれない。
関西ナンバー2の偏差値であれば、もっと吸引力があると思っていたのでこれはやはり意外であった。

塾が独占的な立場で煽って喧伝してきた偏差値志向は絶対的指標からあくまで相対的なものとして遠景に退き、学校の様子はどうなのか、教師の取り組み、学校長の発言や考え、諸々諸々いまや情報は多方面から入ってくるので、それを吟味し、実際の利便や内容で学校を選ぶ時代となってきたのだろう。


最後に。
以上述べてきたことは、私の周囲からの直接の話と、周囲からの伝聞を瞬間切り取って根拠としたものであり、まさに群盲象を撫でる程度の話でしかないことを誤解なきよう強調しておきたい。