先日の会のこと。
立食の円卓を囲み三者が息子の中学について語り合っている。
同年代であるから子の歳は近接している。
一人は大阪星光。
家から至近、交通の便がすこぶるいい。
一人は西大和。
学校の面倒見が抜群、安心して子を託することができる。
一人は東大寺。
最も偏差値高く進学実績も突出している、近所に家まで買った。
三者三様ゆえあっての進学先の選択だ。
その三者の横に立ち耳傾ける旧友の子は神童。
それら飛び越え灘へと進むことは確定的で、そうなればわたしが知る限り33期ご子息で4人目となる。
星光生の子がみな星光に行くとは限らない。
親は根を同じにするが子らはそれぞれの道を行く。
そして、異なる道を通りつつも、縁があれば大学などで交差して、いつかは仕事などで助け合う。
親であるからそこまで見越せる。
つまりは同志。
だから今から仲間であると前提すれば話が早い。
親戚のようなものであって、どのみちチカラを合わせることになる、そう思っておけばいい。
大阪星光の生徒が東大寺の先輩から進路選択について助言を受けてもいいわけであるし、西大和の同級生から大阪星光の生徒が有益な受験情報の提供を受けてもいいわけである。
なにも一つに固まる必要はなく、適度にばらけた方が、網が広がり収穫も大となる。
それぞれがそれぞれの道で最良のものを吸収し、そして、それらを分かち合う。
なんと心強いことだろう。
友情は目には見えぬが末代まで消えることなく、だから、最も価値あって尊い。