ある教師が言っていた。
大阪星光は30期台が最も優秀だった。
突如、存在感を顕にし、関西の進学校の一角を占めたのがその時期と重なる。
しかし、そこから更に飛躍することはなかった。
高度を保って安定飛行する旅客機のように以降は現状維持程度に留まった。
期が40台となるちょうどその頃、「離陸」に寄与した教師陣が後景に退き、取って代わったのが「反受験」とも言える思想だったのかもしれない。
進学実績にこだわらない。
そんな、あえて主張する意味のないことを理念とする時期が長く続くことになった。
当然、灘を超えて日本一の進学実績を目指すと校長自らが謳う甲陽や西大和に敵う訳がなく、浪人生ともコミュニケーションを密に取る東大寺や西大和に迫れるはずもなく、大阪星光はピカイチの立地にあって後塵を拝し続け、それが見慣れた風景のようになっていった。
駅前の蕎麦屋に客は絶えない。
だから、蕎麦屋からすればそれで問題は何もなかった。
志しのある教師からすれば物足りなかったかもしれないが、結果を厳しく問われないのであれば楽であり、蕎麦屋の味は変わらないということになる。
保護者や生徒を顧客とみて耳を傾ければ、いろいろな声が聞こえてくるに違いない。
お代が高くなっても、もっと味を改良して欲しいといった言葉などを筆頭に蕎麦屋として参考にできる要望は山ほども寄せられることだろう。
幸い、生徒たちは仲がいい。
これがこの学校の最大の特質と言え、それに加え、皆で思い描いた大学に合格できればもっと素晴らしいことだろう。
そんな潜在力を持った生徒たちの集まる学校だと思うので、不本意な結果が幾つも届くと切なくてやりきれない。
たかだか創立70年でピークを過ぎた訳ではないだろう。
突如、存在感を顕にしたあのときのように、せめて進学実績にはこだわってもいいのではないだろうか。