夜食はできたてホヤホヤがいい。
だから長男の帰宅直前に中華屋に出向いた。
地元きっての名店である。
彼の喜びそうなメニューを見繕う。
品を受け取り両手に提げて、ふと思う。
女に生まれていたら男に尽くすタイプ。
演歌世界に登場するような深情けの連れ合いになっていたことは間違いない。
家に戻りエビ入りチャーハン大盛に四川麻婆豆腐、酢豚、餃子を皿に盛りつける。
あとは息子の帰りを待つばかり。
そんなときに限って帰りが遅い。
電話するも出ない。
せっかくの料理が冷めていく。
時計を見る。
息子はまだ。
ああ、演歌の女。
嘆息ひとつにもこぶしがきいてくる。
同じ頃、二男はひとり映画を観終わった後だった。
ディズニーランドに行ったはいいが、やはり面白いとは思えなかった。
アトラクションに一つ乗り、パレードを眺めてはや退散。
有楽町の映画館に単独向かったというから血は争えない。
その行動はわたしと同じ、瓜二つ。
まもなく長男が帰ってきた。
夜食の量が多すぎる。
彼はそう難癖をつけるもがつがつと平らげていった。
その様子を眺めて演歌の女は目を細め、家内のことを考える。
家で用事しているとそのたいへんさがとてもよく理解できる。
食事をどうするか。
何よりそれが最重要な課題だ。
わたしは料理に不案内。
だからいつ何を調達するかについて頭悩ませることになる。
仕事とジムで草臥れて夜は家事までとても手が回らない。
だから朝に迎え撃つ。
寝床を早く飛び出して、洗濯し洗い物を済ませ各所を片付け掃除する。
家内の場合はこれに布団干しやら植木の水やりやらが加わって、料理もするしそのための買い物もあるのだから生易しい話ではない。
猫の手程度の助力は得られるにしても、家族を想わなければとてもやってられない嵩の任務である。
おまけに子らが小さいときはその面倒まで買って出ていたのだから頭が下がる。
どう考えてもわたしの書類屋稼業の方が楽である。
世には、すぼら女房が飛んで飛んで回って回って肝心の家はカオス極めるという家庭もあるようだ。
乱雑と荒廃が無秩序を増殖させ続ける不毛なジャングル。
想像するだけで気持ちが滅入る。
我が家については、暮らしのベースとなる家が当たり前のように整っている。
手入れ行き届いた庭園に住むようなものであるから当然に実も成れば花も咲く。
ことほぐべきことだと言えるだろう。