仕事納めの日、皆に声を掛けひと足早く事務所を後にした。
途中、郵便局で年賀状を出し追加分を買って谷町四丁目から電車に乗った。
谷町線もJR神戸線も車内はガラガラ。
その様子に年の瀬を感じつつ立花駅で降り、改札で家内の到着を待った。
駅から5分も歩けば物静かな町並みになって、そんな一角に韓国料理釜山は佇んでいた。
BTSが歌う大画面前の席につき、しばらく待っていると予約した品が運ばれてきた。
マッコリで乾杯し、ずらりと並ぶ美味に感嘆して家内が聞いた。
なんでこんなにおいしいのか。
聞けば女将の母は本場チャガルチで人気の食堂を経営していて、料理の腕はその母から譲り受けたものだという。
チャガルチと言えば食の激戦区中の激戦区である。
そこで30年以上も人気博する店を取り仕切っていたというのだから、母のレベルは推して知るべし。
その系譜を継ぐのであるから、おいしいのも当たり前の話だった。
この夜、二男は朝から星光生と集まり夜通し遊ぶとのことであったが、長男が東京から帰ってくることになっていた。
だから長男の分とするポッサムとチヂミをテイクアウトし家路に就いた。
家では家内が女将になる。
料理の支度をしていると、門の開く音がして、夫婦で手を止め聞き耳を立てた。
まもなく長男がリビングに姿を現し、家内は駆け寄り、かわす長男を追って背から抱きついた。
腹が減ったという長男をテーブルに座らせて、あれこれ家内が料理を並べ、わたしは竹鶴を皆のグラスに注いだ。
家のご飯がいちばんおいしい。
長男がそう言ったから家内は喜んでまたしても長男に駆け寄ってそのでかい背に顔をのせ、息子の帰りを喜んだ。
なるほど、この家には料理を通じての深いコミュニケーションが存在したのだと今さながらわたしは気づいた。
それがあったからこそ母子の結束は固く、おまけに息子二人も料理上手に育つことになった。
この先どこかで、息子らは彼らの料理について質問されることだろう。
なんでこんなにおいしいの?
うちのおかんがさ、とそこで語られるのは母の話。
雨の日も風の日も、いつだってどんなときだってうちのおかんは美味しいごはんを作ってくれた。
そう語る度、彼らは自身に注がれた愛情の大きさに思い至って母を懐かしむことだろう。
このコミュニケーションにおとんの入る余地は全くない。