仕事後、家内と駅で待ち合わせ寿司屋に寄ることにした。
午後から降り出した雨はまだ止まず、家内がビニール傘を持っていたのでそれでしのいだ。
カウンターに並んで座ってビールで乾杯し、差し出される小品について寸評を述べ合いつつ箸を運ぶ。
いつものとおり過去と未来を行きつ戻りつし会話が進んだ。
先月の息子の受験行脚の話に続いて来月家族で連れ立つ入学式の話になり、かつて子らをせっせと送り迎えしていた一昔前の話になって、足繁く東京に通うのであろう一足先の未来の話になった。
このように過去と未来の振幅は酔いが深まるに連れ大きくなっていった。
一品一品が実に美味しく、それを味わうごとに会話が現在という振り出しに戻って、それからまた過去を回想し互いの労を労い、未来を思い描いて豊富を語り合った。
やがては、バギーに子を乗せ倹約生活を送っていた頃の話になり、子らが巣立った後の遠い将来の旅先について空想を膨らませた。
いつしかビールは冷酒に代わっていた。
時間を対比しつつ振り返れば、かつては労苦に占められた我ら小市民の暮らしも幾分かは平穏に置き換わっていっているのだと明瞭に理解できた。
つまり、いろいろたいへんだったけれど、なんとか順調。
この流れが滞らぬようするのが大人の役目であるのだろう。
そして遂には、会話は子らのことに占められた。
気づけば、あっと言う間に大きくなった。
それがなにより。
夫婦の会話は、各所各時間を巡って結局ここにいきつく。
今度は彼らもここに連れ寿司を食べようと話が決まった。