KORANIKATARU

子らに語る時々日記

ともだち

子らによると散髪屋の店長は桃谷に住んでいたという。
桃谷といえばがら悪い地域の玄関口でもある。
桃谷から商店街を東に15分も進みアーケードを抜けると、その心臓部に至る。

遡ること30年以上前、自我に目覚める薄明の頃合い、私の友人達はその辺りに棲息し徘徊していた。
今では会うこともないし、音沙汰も聞かない。
ママチャリにまたがり徒党組んで町を闊歩する彼らは例外なくヤンチャくれであり、当時終幕に向かってはいたものの、依然として少年の犯罪率全国ナンバーワンの地位を欲しいままにしていた地区の主要メンバー達であった。

西宮在住の息子らの友人達とは毛色が全く異なる。
ナイフとフォークを前にすれば子らの友人は食事でも始まるのかと行儀良く膝に手を置くだろうが、大阪下町のヤンチャくれだとたちまち緊張走り血なまぐさい戦闘を繰り広げるのではないだろうか。
そんな古生代カンブリア紀の生物群さながらの奇っ怪獰猛な面々に遭遇した場合、息子らはどのように対応するだろう。
出鼻は挫かれるだろうが、案外、知恵巡らせて上手にコミュニケーション図れるかもしれない。

私の場合、仕事や友人らとの交流以外の場面、例えば散髪屋で話すことなど滅多にない。
一方、子らは、母親の躾か性格か、はたまた場慣れの産物か、同年代はもとより見知らぬ大人相手でも自然と会話を繰り広げる。
旅先の温泉地でも街角の工事現場でも近所のスーパーでも誰かと話し始め、私の方が話を区切るのに戸惑ってしまうこともあるほどだ。

気軽で肩の凝らないコミュニケーションを不得手とする日本男児のなかにあっては重宝な特質である。
少しKY気味のマイナス要素もあるけれど、臆せずコミュニケーション図れる素地自体は、差し引きプラスと言えるだろう。
見過ごしがちだが、勉強やスポーツに匹敵するほど案外大事な資質かもしれない。

子らも成長するに従い、色々な人間関係を有するようになった。
近所の友達、習い事や塾、ラグビーの仲間、散髪屋の店長やコーチや先生といった世代を越えた顔見知り。
緩やかな付かず離れずの人間関係から、緊密な人間関係まで各種各様のようだ。

年末に芦屋ラグビーの友達を招いて、散々遊んで食べてというだけのクリスマス会を開いたのだが、その様子を垣間見てしみじみ感じ入った。

別れの時間が近づくにつれ、「宿題終わってるから朝5時まで遊ぼう」とか「いっぱい食べたからこれから公園30周走ろう」とか「泊まっていいと言われている」とか、宴の終わりを回避するような可愛い戯れ言の合間合間、何とも切ないような沈黙が訪れ、さみしいという気持ちが言外に行き交う。
結局それぞれ帰途につくのだが、バイバイまた遊ぼうという言葉が、余韻深く残った。
彼らは既に強い連帯意識で堅く結ばれ、共鳴し合う仲、必ずまた何度でも会わねばならない仲間同士となっていたのであった。

県大会を目標に勝ち負けをともにし、そして優勝を勝ち取った。
勝つ喜びと負ける悔しさを一緒に味わってきた。苦しい練習を共に耐えてきた。
そしてそれだけでなく、武士の情けもカラダで覚えた。

スポーツの素晴らしいところは、勝つことを手放しで喜ぶだけでなく、負けた相手を眼の前にし敗者のリアリティを直接感じ取ることができるところにある。
勝つことの重さと意味は、敗者への眼差し抜きには語れない。
勝って兜の緒を締めよという言葉は、単に浮かれて油断するなという意味だけでなく、勝つことの厳粛さと敗者への共感をも含意するのではないだろうか。

芦屋ラグビーを通じて、感情的な奥行き、共感する力が備わったのだと思う。

痛みで溢れ返る世の中である。
えべっさんの福男が神社滑走し世間が浮かれている、その同じ時、どこかで悲痛な思いで堪え耐える人もいる。
そういったことを想像できる人間であって欲しい。
その想像力が君たちの真価を決める最大の要素になる。

斬るか斬られるか、となれば斬られる訳にはいかず「ご免!」と黙して斬って捨てるしかないけれど、その重々しさの中、生かされていることを知らねばならない。

そんなメンタリティがあってはじめて、仲間が集う結節点となり得て、良き交流、豊かな人間関係に恵まれることになる。

まだまだ発展途上の出来損ないではあるけれど、勉強よりもスポーツよりも何より、あいつがいないと寂しいと言ってもらえるような、そんな存在になりつつある様子が窺えて、それはそれは嬉しいことである。