KORANIKATARU

子らに語る時々日記

勝利の美酒

長男が呟いた。
ラグビー県大会で伊丹を破って優勝が決まった瞬間を思い出すと、くすぐったいような心地よさが込みあがってくる。
とても気分がよくなるという。

優勝メンバーの特権だろう。

たった一回でも、どんな分野でも、厳しい戦いを勝ち抜いて頂点に達したという経験は末永く快感物質放出し続ける財産となる。

勝利は癖になる。
あの味は忘れられない。
この中毒性が勝者を更に強くし、ますますが手が着けられなくなる。
勝利の美酒を知る者と知らぬ者とでは、その後の戦績は雲泥の差となりかねない。

こんな希有で目出度い経験ができたのも、芦屋ラグビーで熱心に指導に携わってくれたコーチの力添えがあったからだ。
子らが勝手に勝つわけではない。
県大会を征するという御旗を高々と掲げて、目標示し、規律保って、鍛え励ます。
確固たるコーチの導きがあったからこそである。

そして、厳しい練習を通じての直接の教えだけでなく、後ろ姿から発せられるようなアンヴァーバルな学びをも数多得ることができた。

バラエティ富むコーチが取り巻くなか、仲良しクラブの納まり返ったような調和など糞喰らえとばかりに当たり前に波紋生じ波風渦巻き、そして、そんなノイズなどそよ風のごとく取り合わず、大きな目標に向け前だけ向いて一体となる、男たるべき心の持ち方についても感得できただろう。

次は中学受験である。

受験なんてアクティビティとしては至極つまらないことである。
グランドを疾駆し激突するラグビーに比べれば、なんと退屈だろう。
それに世の中、利口なだけで足りるもんでもない。
それは分かり切っているのだが、避けて通る訳にはいかない。

人生通じ、みずから「勉めて強いる」勉強から逃れられない。
今後何十年にも渡って、随所随所、場面場面で、いくつもの成長カーブを自発的に生み出していかなければならない。
数々の歴戦の強者ともしのぎを削らなければならない。
その際に、末長く稼働し続ける動力エンジンを身に付けさせたい。
可哀想だが熾烈苛酷な競争原理働く中学受験戦線に放り込む、それが親心なのである。

自由満喫の零細自営業者であっても、一定のストレスから無縁ではいられない。
圧倒的に幸運で幸福な人生であっても、こと男子の務めである仕事については、これは相当にハードである。
仕事の重責で沈痛な気分となることなど、四六時中だ。

とどのつまり、いくら都市化されてバーチャルと見紛う現代社会であっても、生身の生き物であるところの人間が、互いに命かけてすったもんだするのである。
生存競争からは無縁ではいられないのだ。
のびのび、などありえない。
はるか先祖の時代から、生きることと共に背負う精神的な負荷は、はじめからセットでニコイチなのである。
であれば、やれやれ強くなるしかないと、ダイハードのマクレーン刑事のようにあきらめるしかない。

しかし、生存競争の度が過ぎて無益な殺生に及んではならないという当たり前のことを忘れてはならない。