KORANIKATARU

子らに語る時々日記

よっ久しぶりマインド(その1)

許認可要件整え顧問先の事業継承の手続を終える。
何年か越しで取り組んできた。
責任を果たしたという安堵感と父子に渡る当の会社の歴史が浮かび感慨一入となる。

帰途、事務所で用事を済ませ天王寺へ向かう。
昨晩からの肌寒さがさらに極まっている。
アポロやルシアスの前の道を進む。

田中内科クリニックの新しい看板に気付く。
我が家はじめ女房の家族こぞってお世話になっている。
感謝。

先日、父が調子を崩したというので、何より先に田中内科クリニックで診てもらうよう勧めた。
田中院長は、医学の知見の高さもさることながら、人間として最も信頼できる人物の一人でもある。
目と鼻の先とは、父が毎日通うルシアスのスポーツジムと田中内科クリニックの距離のことをいうのだが、まだ訪れていないようだ。
毎日、どうしようかと考えつつ目にはするけれど通り過ぎる。
そのうちお目見えすることと思います。
よろしく頼みます。

アポロ前のこの道は、私にとってもともと縁もゆかりもない場所だった。
一昨年5月に田中内科クリニックが開院し、それによって、緩やかに季節の変化を感じつつ何度も歩く道となった。
無名の通りが深い意味を帯び、私の家族や関係する者らをも引き寄せて色取取の歴史が蓄積されていく。

昨晩は鷲尾耳鼻咽喉科への夜道を歩いた。
鷲尾先生を頼りにする地元民は増える一途で、予定の終業時間に鷲尾先生が仕事を切り上げられるはずもない。
一人一人を丁寧に診察する様子を窺いつつ、しばし待つ。
考えてみれば凄まじい体力と精神力である。
鷲尾先生からすれば当たり前のことを当たり前にしているだけなのだろうが、そのように仕事するための適性を長い時間をかけて造り上げ、そして日頃の研鑽と節制により、ますます進歩させ続けている。
つまり身体が職業に最適化されているという状態なのだろう。

仕事に全力投球する面々のなかにある幸福というのを君たちにどう伝えればいいだろう。
大人になると、それが暗黙の共通言語になる。
気負ってか飄々としてかの差はあっても、自らの職業に真っ向勝負する姿勢があってはじめてそれぞれの胸襟が開く。

職業に恵まれることの大事さを痛感する。
打ち込める仕事、やりがいのある仕事、きついけれどふつふつと満足感と自負心のわいてくる仕事、そういった仕事に出合うことが人生の最重要テーマであると胸に刻んで、いまのうちから考えておかないといけない。
仕事こそが人生である。

東京で働いていた20代の頃、毎夜連日時には深夜まれに朝まで飲み歩いていたが、呑み仲間の先輩がぼそっと言った。
「本当に仕事が充実していればこんなことしてないで、さっさと帰って明日に備えて寝るんだよな」
何気なく発せられた言葉だが、悲しみに翳ったようなトーンを聞き逃すことができなかった。
当時の先輩と同じ年格好に差し掛かったが、本当に幸いなことに明日の仕事を思って早く切り上げなければならない側に何とかなることができた。
やれやれである。
(つづく)