メトロ谷町線平野駅3番出口をあがってすぐ左、角に黄色い建物が見える。
建物自体は街並みに溶け込む一軒家である。
が、色が色なので天気が晴れであれ曇りであれ、ひときわ目立つ。
地域に根ざし地域の方のための医療を行う。
それが金城院長の理念であるが、かねしろ内科クリニックの佇まいそのものが、その理念を体現しているのだと今更ながら気づくことになった。
ビルではなく一軒家。
階上にクリニックを構えるのでなく、地べた一階で診療が行われ、何かあればその一階から地続きで患者さんのもとへと駆けてゆく。
普段なにげなく通りかかる目線の先に院長が待機しているのであるから親近感のようなものが無意識のうち湧いて出て、実際会ってみればこれはもうかなり親しみやすいので、親近感が倍加する。
そして今回集まったスタッフもみな院長と志を同じくし、人柄良く器量良く当然仕事の技量も抜群で経験も豊富であるから、地域にとって心強いことこのうえない。
かねしろ内科クリニックの誕生は地域にとって令和元年の出来事のなか特筆事項であろうと思いつつ、小一時間をそこで過ごし、次に阿倍野の田中内科クリニックに向かった。
阿倍野はここ7,8年で大変貌を遂げた。
元をたどれば、東急がこの地の再開発を担ったことが発端だった。
それまでは群雄割拠する各種勢力が危ういような均衡を保って旧態依然とし続け、迂闊には首を突っ込めない地域であった。
そこに東急が入って、それら角を突き合わせる力学地図を整理統合していくのであったが、そこで動いたのが東京地盤の諸勢力であったと言われる。
いわば東京の血が注ぎ込まれてはじめて大阪屈指のディープな地の再開発が果たせたと言え、だからあの界隈を歩いてちらと東京的な空気を感じるのも故なきことではないのだった。
そのような経緯を経て、2011年4月にあべのキューズモールが出現し阿倍野は生まれ変わり、時を置かず同年5月に田中内科クリニックが誕生することになった。
つまり、阿倍野再生のシンボルのひとつが、田中内科クリニックであるといっても過言ではなく、阿倍野を訪れ田中内科クリニックに寄らないのであれば画竜点睛を欠くということになる。
受付でほっと気持ちが和み、院長に胸襟開いてあれこれ相談し適切な解決策を処方してもらい、優しく親しみやすい看護師らと雑談交わしながら心のこもった丁寧な処置を受ける。
誰かに大事にしてもらえることほど嬉しいことはない。
人としてそんなシンプルなことを思い出すことができる。
田中内科クリニックはそのような場所である。
事務所に戻ると家内が手伝いに来て何やら用事をしていた。
この日、平野から阿倍野へと北上し、各地にて受けた好作用によってわたしも少しくらいはマシな人間になっていたのかもしれない。
家事を終えわざわざ事務所に来て雑用をこなす。
そんな家内の姿に深い感謝の念を覚えることになった。
そしてこの日の最終地点はミナミ法善寺。
鮨うちやまで憩って過ごし、明日への英気を養った。