仕事納めとなった28日、最終地点は南森町であった。
夕刻の大阪天満宮で手を合わせ一年の業務を締め括った。
事務所に戻って後片付けを終えるとそろそろ午後7時。
田中内科クリニック忘年会の開宴は午後7時半。
千日前線を使ってミナミへと向かった。
行き先は法善寺の鮨うちやま。
先に着いたので入り口の待合に座って、皆の到着を待った。
やがて階下から賑やかな声が聞こえ4階へと近づいてきた。
田中内科クリニックの方々に他ならなかった。
院長の顔も見えた。
座敷に案内され腰をおろし、改まったような雰囲気となってまずは静かな滑り出し。
まもなく凝りに凝った小鉢数種が各自に配され、それが合図となって饒舌の口火が切られた。
どの品もその佇まいからして褒め称えずにはいられない。
そして一口ごと、その美味がまた言葉を誘ってやまず、絶え間なく皆が話し出し、場は一気に賑やかなものとなっていった。
明るく朗らかなこの和気藹々が心地いい。
それもそのはず、この場を統べる人物は田中院長。
その人柄が鋳型となるから、角が取れて空気自体が丸みを帯びる。
わたしは思った。
田中内科クリニックで働く方々は皆、幸い。
仕事に携わる時間の幸不幸は、事業主によって決まる。
同じ業務、同種の職場に見えて、事業主によって空気が一変する。
水が良ければ魚はすくすく育つ。
たとえ滋味に富んだ水質であっても、冷た過ぎれば長くは過ごせず、熱過ぎればのぼせてしまって疲弊する。
職場も同じ。
鮨うちやまで皆がくつろぎ食事するその一場面だけで、田中内科クリニックが居心地いい職場であるのだと十分理解できた。
皆は田中院長のことを先生、先生と呼ぶ。
それが医師を指しての先生というより、わたしには学校の先生を指しての先生といった風に聞こえた。
親しみこもった先生という響きのなかに、単に仕事を通じての関係だけでなく、人としての温かみある交流が存在するのだと見て取れた。
スタッフに何を求め、何をしてもらうか。
そんなスタンスでスタッフに関わるのが事業主の標準形である。
ところが、田中院長の場合、スタッフに対し何ができるか、何をしてあげられるか、が先に来るので、普通の事業主とは毛色が異なる。
エネルギーの行き来で見れば一目瞭然。
スタッフから見て、面白くて頼り甲斐のある学校の先生。
田中院長はそんな存在と言えるだろう。
だからいつの日か、思い出深い。
恩師といった存在として各自の胸に残ることになる。
忘年会の場で過ごしそんな印象ばかりが強まって、注がれるままに白ワインを飲み続けたので、時間が早回しとなって、あっと言う間、お開きの時間となった。
先日カネちゃんとしたのと同様、年の瀬で賑わうミナミの往来のなか、ハイタッチして皆とわかれた。
なんて素晴らしい仕事納めなのだろう。
孤児が、温かい家庭に招かれて過ごしたような感慨を胸に、なんとも嬉しい気分でわたしは家路についた。