1
今年最後の三連休が終わった。
心にスキが生じるからだろう、休み明けは決まってカラダがだるい。
自らに喝を入れつつ始発で仕事に向かう。
デスクに座れば自然と起動するはずが、いつまで経っても調子がすぐれない。
なんとか騙し騙し昼までの業務を完遂させ11:30から90分カラダを揉みほぐしてもらう。
全身コチコチこわばって血の巡りが停滞していたようだ。
それで頭スカスカ、なんとも苦しいような空転の時間を余儀なくされたのだった。
マッサージの後、すっかり体調回復。
弾むような足取りで事務所に帰還し残りの業務を片付けた。
カラダのケアなど三連休中に済ませておくべきことであった。
夕刻になり田中内科クリニックへ寄る。
院長直々、インフルエンザの注射をしてくれた。
本当に私は注射されたのだろうか、そう思うほどに痛くない。
チクリとさえ感じなかった。
ニンニク注射も受け、これで万全。
年の瀬を見事渡り切る英気みなぎり、阿倍野ルシアスの赤ちょうちんで一杯ひっかけた。
ああ私は自由業。
2
阿倍野の田中内科クリニックホームページの医院案内を見る。
一脚の椅子が写っている。
「椅子」で連想するのは映画「フェノミナン」だ。
96年公開時旅先で見て感動し、帰国後も足を運んで更に感動を深めることになった。
そして思い立ってこの夜、三度目の鑑賞に臨んだのであった。
デラウェア種の河内ワイン白を開けて飲みつつ「フェノミナン」を見始めた。
良き映画は、接する年齢に応じて異なる響きを味わうことができる。
20代の時にはキャッチできなかったひと味違う感動を40代において得ることができた。
3
ジョン・トラボルタ扮する主人公ジョージは田舎の善良な自動車修理工だ。
37歳の誕生日の夜、謎の光を目にし卒倒する。
以来、頭が冴え渡り、アイデアが無尽蔵に湧出する。
感覚が鋭敏になり、物とも呼応しそれを動かすこともできるようになる。
彼は天才かつ超能力を有する者となったのだった。
周囲の見る目は変わり、好奇の視線に晒され、ひそひそ話の対象、興味本位に取り沙汰される対象となっていく。
能力は見違えたが、ジョージの本質は何も変わらない。
人によくすることが性根のジョージであり、降って湧いたその能力を隣人のために役立てようと懸命になる。
4
ジョージが夜空に見た閃光は、人の生そのものを象徴しているのかもしれない。
ぱっと光って、たちまち消える。
ジョージに死期が迫る。
死が間近明確に置かれた状況で、人はどのように最期の時間を過ごすのであろう。
ジョージはその活性を周囲に役立てようと最期まで奮闘し、そして、愛する人のかたわらで最期を迎えることを望んだ。
自らのベストを尽くし、後を託していくその姿に、人たるものの精神の連続性に厳粛な思いとなる。
ジョージの最期から、
自分がいま息を引き取るのだとしたら、一体誰と一緒に過ごしたいのかと考え本当に大切なことに思い至ることになる。そうそう家族を精一杯大切にしよう。
5
全編を通じ、安らぎの象徴として椅子が重要な役割を果たす。
ジョージが愛する女性は椅子作りに情熱を傾けている。
ガレージセールで売り出されるその椅子をジョージは根こそぎ買い占め、家に置き友人に配る。
椅子が、人が帰っていく本当の居場所を象徴し、椅子がジョージと女性を結びつける。
ストーリーが美しいだけでなく、風景がいいし、音楽もいい。
ジョン・トラボルタは最高である。
この映画は本当に素晴らしい。
6
翌日、学校帰りに長男が田中内科クリニックを訪れた。
椅子に腰掛け、院長から直々、注射を受けたという。
もちろん痛くなどない。
田中院長は星光の同級生。
我が子がタコちゃんに注射してもらった、ということが何だかとても嬉しくて、気も抜けないほどに忙しい時期であるのに、日記を書いた。